陶磁器の産地(窯業地)
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陶磁器の産地(窯業地)について

陶磁器の産地(窯業地) 記事一覧

猿投窯とは

猿投窯猿投窯(さなげよう)は古墳時代から鎌倉時代にかけて愛知県で稼働していた古窯群のことです。その古窯群は1,000基を超える規模で、名古屋市の東部から瀬戸市南端、豊田市西部から刈谷市・大府市まで約20km四方の地域に分布していました。とりわけ名古屋市と日進市をはじめ多くの窯跡が密集しています。猿投山(さなげやま)の西南部に広がった古窯跡は山の名前から猿投窯と名付けられました。 須恵器とは猿投窯は...

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中世六古窯とは(参考)

 六古窯について六古窯(ろくこよう)とは平安時代末期~安土桃山時代を代表する窯業地のことです。平安末~鎌倉・南北朝・室町・安土桃山を中世とすることから中世六古窯(ちゅうせいろくこよう)、または日本六古窯とも呼ばれます。それぞれ瀬戸窯(せとよう:愛知県瀬戸市)・常滑窯(とこなめよう:愛知県常滑市)・越前窯(えちぜんよう:福井県丹生郡越前町)・信楽窯(しがらきよう:滋賀県甲賀市信楽町)・丹波窯(たんば...

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益子焼(栃木県芳賀郡益子町)

益子駅周辺は陶磁器に囲まれた町並が続きます。いくつもの窯元と販売店が軒を連ねています。陶芸メッセにある益子陶芸美術館は収蔵品が充実していることで知られています。同敷地内には「民芸陶器」の人間国宝である濱田庄司(はまだ しょうじ)の旧邸宅と登窯が公開されています。益子焼きの特徴は濱田庄司や島岡達三(しまおかたつぞう)など民芸巨匠の作品群にみてとれます。木村一郎や佐久間藤太郎、合田好道、村田元の作品も...

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笠間焼(茨城県笠間市)

笠間は隣接する益子よりも歴史が古い窯業地です。笠間駅から笠間芸術の森公園まで歩くと販売店と窯元が何軒もみられます。公園につくと窯業指導所、笠間工芸の丘、茨城県陶芸美術館が敷地内にあります。これらの施設を見ることで笠間の一面がわかるでしょう。特に笠間はその自由な作風で知られています。たとえば練上げの人間国宝 松井康成(まついこうせい)、採泥の和田守卑良(わだもりひろ)、布目なら伊藤東彦(いとうもとひ...

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備前焼(岡山県備前市伊部)

伊部(いんべ)駅のまわりには赤レンガ造りの煙突がいくつも見えてきます。バス停の待合室も赤レンガの屋根がついてます。陶製の観光案内板には緋襷がかかり町のいたる所で備前焼を目にします。伊部は町なみに陶器が熔け込んだ素晴らしいところです。現存する天保窯跡の佇まいと山の緑に映える周辺の煙突を見ると陶器と歩んできた備前焼の歴史が感じられます。また、散策道にある備前焼の細工物は、土色が自然に映えて独特の風情を...

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清水焼(京都府京都市東山区清水)

 清水五条の地東山区は京焼発祥の地といわれます。江戸時代初期には三条の粟田口焼(あわたぐちやき)、清水の清水焼(きよみずやき)、五条坂の音羽焼などが黎明期の窯として知られます。中でも清水・五条はその中心地として栄え、現代では京焼のことを清水焼と呼ぶこともあります。清水五条駅を降りると五条大橋があります。ここは古くは牛若丸と弁慶の出逢いの地として語り継がれています。そして清水寺に向かう五条通りには若...

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萩焼(山口県萩市)

 萩の城下町萩市は松下村塾の史跡や幕末の長州藩士ゆかりの地として知られます。萩城址のまわりには江戸~明治時代の城下町と武家屋敷があります。それらは修繕されながら美しい景観が現代に残ります。萩焼の販売店は城下町の中に点在しています。徒歩だと時間がかかるので観光がてらレンタサイクルが良いと思います。窯元は萩市のほか長門市、山口市など県内全域に分布しています。 萩焼の特徴萩焼は絵付などの華美な装飾はほぼ...

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薩摩焼(鹿児島県日置市ほか)

 薩摩焼の特徴薩摩焼は鹿児島県全域で焼かれる陶磁器の総称です。文禄・慶長の役(1592年~1593年・1597年~1598年)の時期に藩主 島津義弘(しまづ よしひろ)に同伴した朝鮮人陶工により各地で開窯されました。当初の窯を大別すると5つの系統に分かれます。陶器を主に作ったのは姶良市(あいらし)・鹿児島市の「竪野焼(たてのやき)」、姶良市の「龍門司焼(りゅうもんじやき)」と「元立院焼(げんりゅう...

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唐津焼(佐賀県唐津市)

 唐津焼の歴史唐津焼は現在の佐賀県西部および長崎県北部で焼かれた陶器のことを指します。その発祥地は1580年代の岸岳山麓(きしだけさんろく:佐賀県北波多村、相知町)とされています。すでに朝鮮半島から作陶技術が伝播しており、日本ではじめて登窯(割竹式)が稼働したのもこの地域です。有名な古窯跡としては飯洞甕窯(はんどうがめがま)が挙げられます。はじめ文禄・慶長の役(1592年~1593年・1597年~...

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上野焼(福岡県福智町)

 上野焼の歴史上野焼(あがのやき)は福智町(旧 赤池町)で焼かれる陶磁器を指します。1602年 細川忠興が小倉に入封したのち、朝鮮人陶工の尊楷(そんかい)を招いて焼かせた小倉藩の窯がはじまりです。尊楷は文禄・慶長の役(1592年~1593年・1597年~1598年)の時期に加藤清正が連れて帰ったといわれています。初代藩主 細川忠興(三斎 1563年~1645年)は利休七哲のひとりで茶道に造詣の深い...

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高取焼(福岡県朝倉郡東峰村ほか)

 高取焼の歴史1602年ごろ高取焼は朝鮮人陶工の八山(はちざん 和名:高取八蔵)らにより開窯されました。これは筑前福岡藩主 黒田長政の命によるものです。八山は文禄・慶長の役(1592年~1593年・1597年~1598年)の時期に黒田長政に同伴して日本に来たといわれます。八山とその陶工集団が永満寺の宅間(えいまんじ たくま:現 直方市永満寺)に、藩の御用窯を築いたのがはじまりとされています。遠州好...

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小石原焼(福岡県朝倉郡東峰村)

 小石原焼の起源小石原焼(こいしわらやき)は発祥の地である旧 小石原村中野の地名にちなんで、はじめは「中野焼(なかのやき)」とよばれていました。その発祥には諸説あり、1682年に福岡藩主 黒田光之(くろだ みつゆき)が伊万里から陶工を招いて開窯させたのを起源とする説。また高取八蔵(たかとり はちぞう:初代八山)の孫である高取貞正(たかとり さだまさ)が、1669年頃(一説では1684年ごろ)から日...

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小鹿田焼(大分県日田市)

 小鹿田焼の歴史小鹿田焼(おんたやき)は1705年に小石原焼(こいしわらやき)の陶工 柳瀬三右衛門(やなせさんえもん)を招いて開窯しました。地元の黒木十兵衛が資金を調達し、坂本家が土地を提供しています。そして柳瀬三右衛門は登窯と作陶技法を指導しました。したがって小鹿田焼は小石原焼の影響を強く受けているといえます。また、小石原焼は高取焼とも関係が深いため小鹿田焼は高取・小石原の流れをくむ陶器といえる...

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有田焼(佐賀県有田市)

 有田焼の歴史有田焼は朝鮮人陶工である李参平(りさんぺい)を陶祖としています。有田焼の通称は「伊万里焼」ともいいますが理由は後述します。鍋島藩主 鍋島直茂は文禄・慶長の役で李参平を日本に連れ帰り、1616年(1604年という説もある)上白川に天狗谷窯を開かせました。少なくとも4つ以上の窯の形跡があり、大きなもので70m級の登窯がありました。天狗谷窯は日本ではじめて白磁の焼成に成功した窯とされます。...

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波佐見焼(長崎県東彼杵郡波佐見町)

 波佐見焼の歴史波佐見焼(はさみやき)のはじまりは1598年ごろといわれています。大村藩主 大村喜前(よしあき)は朝鮮人陶工の李祐慶(りゆうけい)に窯を築かせました。李祐慶は文禄・慶長の役で日本に連れられてきた陶工です。下稗木場窯(しもひえこばがま)は波佐見最古の窯で施釉陶器が焼かれました。そして畑ノ原窯でははじめて磁器の産出に成功します。次に三股陶石(みつのまたとうせき)が発見されると三股窯で青...

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三川内焼(長崎県佐世保市三川内町)

 三川内焼の歴史三川内焼(みかわちやき)は1600年ごろ平戸藩主 松浦鎮信が、朝鮮人陶工である巨関(こせき)に窯を作らせたことが始まりとされています。巨関は文禄・慶長の役で日本に連れ帰られた陶工で、その窯は中野窯(現在の三川内市)とよばれます。その一方で秀吉に領地を没収された波多氏の領内から、唐津の陶工たちが木原・江永(えなが)地域に移住してきます。これら三川内・木原・江永の3地域を平戸藩の三皿山...

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丹波焼(兵庫県篠山市今田町)

丹波(たんば)は平安時代末から現代まで続く歴史のある窯業地です。その歴史の長さから中世六古窯(陶磁学者 小山富士夫の命名)のひとつとして知られます。現在は相野駅から車で10分ほどの今田町立杭(こんだちょうたちくい)周辺に50軒を超える窯元が集まっています。いくつもの山々に囲まれた自然豊かな窯場です。 丹波焼の歴史平安時代末から江戸時代末まで焼かれたものを古丹波(こたんば)と呼びます。この時期を大き...

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越前焼(福井県丹生郡越前町)

 越前焼の歴史越前焼(えちぜんやき)は平安時代後半から現代まで作られ続けています。平安~室町までは産地名にちなんで「熊谷焼(くまだにやき)」、江戸~昭和前半までは「織田焼(おたやき)」と呼ばれていました。そして戦後には陶磁学者の小山富士夫により「越前の古窯」と紹介され、中世六古窯に挙げられたことで広く認知されます。次第に越前町にある窯業地として「越前焼」という呼称が定着して現在に至ります。古窯跡の...

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信楽焼(滋賀県甲賀市信楽)

 信楽焼の歴史信楽(しがらき)は鎌倉時代後期から現代まで続く歴史ある窯業地です。中世六古窯(陶磁学者 小山富士夫による命名)のひとつとして知られます。初期の信楽焼は口作りや表面の叩きの技法など、常滑と作行きが類似しています。また作られたものも壺・甕・すり鉢といった、常滑で主流である製品が数多くみられます。一部の出土品には須恵器の甕も含まれますが、初期の信楽焼は常滑焼の影響下にあったと考えられていま...

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伊賀焼(三重県伊賀市丸柱)

 伊賀焼発祥の謎伊賀焼(いがやき)は天正年間(1573年~1592年)に初めて文献に現れます。桃山期の茶人 津田宗久(つだそうぎゅう)が伊賀焼の壺を飾る記述があります。それ以前の発祥については未だにはっきりとしていません。物証となる出土品をはじめ資料が乏しく結論が出ていない状況です。たとえば太朗太夫と次郎太夫という陶工が1530年ごろに丸柱で開窯したとする説。常滑の影響を受け平安末~鎌倉時代はじめ...

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萬古焼(万古焼:三重県四日市市)

 萬古焼のはじまり萬古焼(ばんこやき)は元文年間(1736年~1741年)に沼波弄山(ぬなみ ろうざん 1718年~1777年)により開窯されました。桑名の豪商であった弄山は茶道に造詣が深いことで知られます。家業は萬古屋という回船問屋を営み、伊勢天目(いせてんもく)など茶碗をはじめ陶器を扱っていました。弄山は伊勢国(現:三重郡朝日町小向)に窯を築きます。その作品には、永久に変わらず受け継がれてほし...

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常滑焼(愛知県常滑市)

 常滑焼の歴史常滑焼(とこなめやき)は愛知県の知多半島にある常滑市を中心に作られています。その歴史は古く、はじまりは平安時代後期といわれています。猿投窯の流れをくみ12世紀から現代まで続く一大窯業地として知られます。中世六古窯(陶磁学者 小山富士夫による命名)のひとつであり、その技術は信楽、丹波、越前など有名な窯業地に多大な影響を及ぼしました。中世(平安時代後期から桃山時代)における販路は近隣の都...

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瀬戸焼(愛知県瀬戸市周辺)

瀬戸(せと)は日本有数の歴史を持つ窯業地です。瀬戸市周辺では1,000年以上の長きにわたり陶土・釉薬の原料・薪などの豊富な天然資源に恵まれてきました。今から500万年前から120万年前、陶土が採れる地域には東海湖(とうかいこ)があったことが知られます。琵琶湖の6倍といわれる巨大な湖は現在の愛知・岐阜・三重の三県に分布していました。愛知県にある猿投山(※)は湖に浮かぶ小さな島だったのかもしれません。...

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美濃焼(岐阜県東濃地方)

美濃焼(みのやき)は岐阜県東濃(とうのう)地区で作られる陶磁器の事を指します。東濃地区における西部、すなわち土岐市(ときし)・瑞浪市(みずなみし)・多治見市(たじみし)・可児市(かにし)を中心に窯業が盛んな地域であり、現在の土岐市は日本一の陶磁器生産量を誇ります。美濃焼ははじめ瀬戸焼の一地域として捉えられていました。しかし桃山時代から瀬戸と異なる独自の発展を遂げ、明治時代以降に瀬戸と区別して認識さ...

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楽焼(樂焼:京都市上京区)

 樂について樂焼(らくやき)とは樂家によって代々焼かれる陶器のことで主に抹茶椀が作られてきました。茶入・水差・香炉や向付も作られていますが、抹茶椀の数が圧倒的に多いといえます。茶の湯における樂茶碗の発祥は、今から400年以上前の安土桃山時代に遡ります。当時は豊臣秀吉による治世下で、豪華絢爛な桃山文化が花開いた時期でもあります。そして中国から輸入された唐物至上主義もややうすれ、朝鮮半島からもたらされ...

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会津本郷焼(福島県大沼郡会津美里町)

 会津本郷焼の歴史会津本郷焼(あいづほんごうやき)は、福島県の会津美里町(旧:会津本郷町)を中心に作られる陶磁器です。地名にちなんで「会津焼」「本郷焼」とも呼ばれます。会津地域における陶業の歴史は古く、1590年に蒲生氏郷の入封により、会津若松城(旧:黒川城。現:鶴ヶ城)の黒瓦生産が盛んになったのを発端とします。そして1645年に会津藩主である保科正之が、瀬戸出身の陶工 水野源左衛門(みずの げん...

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大堀相馬焼(福島県各地)

 大堀相馬焼の歴史大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は福島県浪江町大堀を中心に作られた陶器です。江戸時代から現代まで300年以上の歴史を持ち、江戸末期には100軒を超える窯元が軒を連ねた東北最大の窯業地です。さて、大堀相馬焼のはじまりは1690年。大堀村の半谷休閑(はんがい きゅうかん)の使用人で、左馬(さま)という陶工によって始まります。左馬は相馬中村の地で陶技を身に付けたといわれます。そして井出...

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