有田焼(佐賀県有田市)
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有田焼(佐賀県有田市) JR西日本 佐世保線「有田」駅から車

 

 有田焼の歴史

有田焼は朝鮮人陶工である李参平(りさんぺい)を陶祖としています。有田焼の通称は「伊万里焼」ともいいますが理由は後述します。

 

鍋島藩主 鍋島直茂は文禄・慶長の役で李参平を日本に連れ帰り、1616年(1604年という説もある)上白川に天狗谷窯を開かせました。少なくとも4つ以上の窯の形跡があり、大きなもので70m級の登窯がありました。
天狗谷窯跡

 

天狗谷窯は日本ではじめて白磁の焼成に成功した窯とされます。その功績を讃え李参平は陶山神社(すえやまじんじゃ。通称:とうざんじんじゃ)に陶祖として祀られています。陶山神社には磁器製の鳥居のほか、十代 今泉今右衛門(いまいずみ いまえもん)が奉納した磁器の狛犬があります。
陶山神社 磁器の鳥居と磁器の狛犬

 

 有田焼は伊万里焼?

陶石は李参平が発見したといわれる泉山陶石(いずみやま とうせき)を用いて作られました。その染付磁器は伊万里港から日本各地・世界中に輸出されたので、伊万里焼(いまりやき)として認知されました(伊万里焼の由来)。

 

17世紀~18世紀はじめの初期伊万里は、オランダ東インド会社により海外に輸出されています。輸出が途絶えると国内向けの生産で窯の火を繋ぎます。ただし、現在では伊万里で焼かれたものを「伊万里焼」、有田で作られたものを「有田焼」と峻別しています。

泉山磁石場(泉山採石場)

李三平によって発見された泉山陶石(画像は泉山磁石場)

 

なお、近隣の磁器窯業地としては三股陶石の波佐見焼(みつのまたとうせき・はさみやき)と、網代陶石を用いた三川内焼(あじろとうせき・みかわちやき。ともに長崎県)があります。佐賀県の磁器産地としては有田が最大の窯業地として現在に至ります。

 

 有田焼の現在

有田にはトンバイ塀(窯道具や耐火レンガで作られた塀のこと)で知られる散策道があります。道を歩いていると橋の中ほどに有田焼が飾られているなど風情ある街並が楽しめます。
トンバイ塀のある裏通り。有田焼のある橋

 

また、有田にはたくさんの窯元があります。中でも柿右衛門窯(酒井田家:かきえもんがま)と今右衛門窯(今泉家:いまえもんがま)が著名な窯元として挙げられます。

 

同じく江戸期から続く源右衛門(げんえもん)窯や、明治期に創業した深川製磁など多くの窯元が有田地域にあります。各店舗は立地的に離れているため移動は車がよいでしょう。

 

柿右衛門窯は色絵磁器の大家として、江戸期から現代まで優美な磁器を作り続けています。濁手(にごしで)と呼ばれる技法は、乳白色の器肌と色絵の対比が特徴で、輸出磁器の中でも特に珍重されました。

 

泉山陶石の石はやや青味が強く、より白いといわれる天草陶石(あまくさとうせき)もうつわの見込をみると青味が視認できるほどです。

 

しかし濁手の作品は青味がなく、乳白色の肌が色絵をより際立ったものにしています。一度は江戸期に途絶えた技法ですが、十二代・十三代 酒井田柿右衛門によって復元された技法として知られます。

 

また、今右衛門窯は江戸の鍋島御用窯の赤絵師の家系です。鍋島様式を現代に伝える窯元として有名ですね。

 

その作品は墨はじきの技法が特徴的といえます。これは白抜きしたい模様を墨で描き、他の部分は呉須などで装飾します。焼成後は墨のついた部分だけ白抜き模様なるのを利用した技法です。

 

 初期伊万里と古九谷

さて初期伊万里といわれる古伊万里様式は、柿右衛門様式、そして今右衛門などの鍋島様式を除いた、江戸期の有田焼を全て含みます。

 

古伊万里は李朝(李氏朝鮮)の磁器をモデルにしたと考えられてきましたが、近年の発掘調査により1620年代の景徳鎮(明代:中国)の古染付がモデルになっていることが分かっています。

 

白い胎土に藍色の呉須で装飾された染付は、中国磁器の完全な模倣ではなく、日本独自の意匠が特徴とされています。それは景徳鎮のような精緻な絵付けとは趣の異なるものです。

 

たとえば景徳鎮と比べてやや大味な絵付けや、コンニャク印判(いんばん。柔らかい素材を使ったスタンプの事)による、呉須の草花が醸し出す初期伊万里の雰囲気は独特の風情があります。

 

こうした初期伊万里は日本発の染付磁器として人気が高く、世界的な規模で多くの収集家がいます。

 

また有田は古九谷焼(こくたにやき)の発祥地としても知られます。はじめ古九谷は石川県の産であると考えられていましたが、1972年および1988年の発掘調査の結果、古九谷は有田で焼かれた色絵磁器がその大部分を占めるという見解が有力です。

 

そして加賀藩 九谷の地でも色絵磁器が作られました。九谷の色絵を焼いた古窯群が稼働した時期は、1640年代~1700年ごろと推定されています。なお、九谷A遺跡からも色絵磁器の陶片が出土したため、「素地土は有田で絵付は九谷」という学説もあります。

 

このように古九谷は有田・九谷それぞれの窯から出土したため、産地については諸説ある状況です。有田ではこのほか柿右衛門様式、鍋島様式、海外で評価された金襴手などあまたの色絵磁器が作られてきました。

 

これらの伝世品を見るには九州陶磁文化館がよいでしょう。古伊万里・九谷の名品のほか現代作家の作品が展示されています。佐賀県は唐津焼の産地でもありますので併せて鑑賞することができます。

 

 

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