備前焼(岡山県 備前市 伊部) JR西日本 赤穂線「伊部」駅周辺
伊部(いんべ)駅のまわりには赤レンガ造りの煙突がいくつも見えてきます。バス停の待合室も赤レンガの屋根がついてます。陶製の観光案内板には緋襷がかかり町のいたる所で備前焼を目にします。
伊部は町なみに陶器が熔け込んだ素晴らしいところです。現存する天保窯跡の佇まいと山の緑に映える周辺の煙突を見ると陶器と歩んできた備前焼の歴史が感じられます。また、散策道にある備前焼の細工物は、土色が自然に映えて独特の風情を醸し出しています。
備前焼の一般的な特徴はその褐色の器肌と多様な窯変といえます。干寄せ(ひよせ)と呼ばれる田土を焼き締めた作品はその土味を存分に楽しむことができます。
私ははじめ金重家と伊勢崎家の作品をきっかけに備前を知りました。そして備前を訪れた後は数えきれないほどの作家を知ることになります。
収蔵品の素晴らしさでは岡山県備前陶芸美術館と藤原啓記念館をお勧めします。また伝統産業会館では陶友会の窯元名簿がもらえるほか2Fで現代作家の作品が見られます。伊部駅周辺には販売店が軒を連ねるので買い物にも事欠かないでしょう。
備前焼の歴史
備前焼の歴史は古くその発祥は平安時代の末期までさかのぼります。伊部周辺を中心に現在まで800年以上ずっと続く産地でいわゆる中世六古窯(陶磁学者 小山富士夫による命名)の一つとして挙げられます。ほかの5窯とは異なり、岡山県東部 邑久(おく)地方の須恵器窯の系譜を引いています。
骨董でよく聞かれる古備前は平安時代末期から江戸時代初期までのものを指します。この中でも年代によって5つの時期に分類されます。
分類と主な時代 | 材料 | 出荷地域 | 特徴 |
---|---|---|---|
第1期 平安末~鎌倉はじめ |
山土 | 伊部近隣 | 須恵器からの移行期にあたる。還元焼成で青・灰色の椀や甕が焼かれた。山土は砂っ気が多く固くざらついたもの。 |
第2期 鎌倉時代なかごろ |
山土 |
伊部近隣、 |
焼成温度が上がり、黒・灰色の椀、壺、すり鉢、大甕が焼かれた。 |
第3期 南北朝時代 |
山土 | 近畿以西 | 焼成温度が更に上がり、茶褐色の壺、すり鉢、大甕が焼かれた。 |
第4期 室町時代 |
山土+田土 | 近畿以西 | 酸化焼成による赤褐色の肌。田土を加えた柔らかい土で従来品に装飾がみられる。例:双耳の壺、片口の甕など |
第5期 安土桃山~江戸はじめ |
山土+田土 | 中部以西 | 第4期の作品に加え窯変をともなう茶陶、懐石用の食器が新たに作られる。茶の湯で備前焼が広く認知される。 |
大きな変化が訪れたのは第4期といえます。従来の山土に田土を加えキメ細かくしっとりした土味を得たからです。土の改良で新しいものが作れるようになったわけです。作品が増え窯変の種類も多様化しました。
器種の増加
- 茶器:抹茶椀・茶入・水指など。備前独特の土味とうつわの景色が人気を博しました。
- 食器:野趣あふれる土味は懐石料理を盛るうつわとして好まれました。
窯変の多様化
- 緋襷(ひだすき):陶器同士がくっつかないように敷いた藁が焼けた跡です。藁のアルカリと土の鉄分との化学反応で緋色を呈します。
- 胡麻(ごま):焼成中に薪の灰がかかり胡麻のような景色になったものです。その状態によって黄胡麻、カセ胡麻などと呼び分けられます。
- 桟切(さんぎり):還元焼成させてできた青・黒い部分を指します。灰に埋もれるなど不完全燃焼の部分が桟切となります。
- 牡丹餅(ぼたもち):器面についた丸い跡でまんじゅう抜けともいいます。徳利など円形のものを置いて炎や灰が当たらないようにして得られます。
室町期には備前六姓(びぜんろくせい)が製作を仕切ります。備前六姓とは室町時代末に始まる備前三大窯(南・北・西)の共同経営者であり陶工の家柄です。画像は大窯の跡地です。
それぞれ金重・森・木村・大饗(おおあえ)・寺見・頓宮(とんぐう)を指します。それぞれが窯印を持っていました。現在では六姓のうち陶業に携わるのは金重・森・木村・大饗の四家を残すだけです。
こうして室町期にひとつの形が出来上がります。そして江戸時代には藩の奨励をうけ確固たる地位を築きました。
備前焼のその後
しかし明治時代になると廃藩置県により窯元はスポンサーを失います。そして会社か個人で窯を運営するが苦境に立たされ、明治から大正の間に衰退していったといわれます。
昭和に入ると金重陶陽(かねしげ とうよう)が桃山時代の古備前の再現を目指します。
氏は後に備前焼ではじめての人間国宝になる人物で、古備前の再現と研究指導など数々の功績を残します。氏の活躍によって備前焼はより広く認知されるようになりました。