薩摩焼(鹿児島県日置市ほか)JR九州鹿児島本線「伊集院」「東市来」駅から車
薩摩焼の特徴
薩摩焼は鹿児島県全域で焼かれる陶磁器の総称です。文禄・慶長の役(1592年~1593年・1597年~1598年)の時期に藩主 島津義弘(しまづ よしひろ)に同伴した朝鮮人陶工により各地で開窯されました。
当初の窯を大別すると5つの系統に分かれます。陶器を主に作ったのは姶良市(あいらし)・鹿児島市の「竪野焼(たてのやき)」、姶良市の「龍門司焼(りゅうもんじやき)」と「元立院焼(げんりゅういんやき)」、日置市の「苗代川焼(なえしろがわやき)」です。磁器を主に作ったのが川内(せんだい)市の「平佐焼(ひらさやき)」です。竪野焼だけが御用窯で他の4つは民窯となります。
現在では苗代川焼と龍門司焼が残るのみとなっています。
薩摩焼は日用品とされる黒薩摩と、高級品とされる白薩摩に分類されます。それぞれ「黒もん」「白もん」と呼ばれます。黒・白・褐色の釉薬のほかに緑~黄色の蕎麦釉(そばゆう)が地元ではなじみ深いものとして挙げられます。深みのある緑黄の釉調が美しく、昔ながらの薩摩焼のよさが見てとれます。
苗代川焼の歴史
苗代川焼がある日置市東市来町美山(ひおきし ひがしいちきちょう みやま)は伊集院駅から車で15分ほどの山中にあります。1599年ごろ朝鮮人陶工である朴平意(ぼくへいい)によって開かれた窯場であり、現在10数軒の窯元が集まる地域でもあります。
開窯当初は黒薩摩を焼きますが、1624年ごろ白土が発見されたことで白薩摩も焼くようになります。薩摩焼は江戸末期~明治に世界に向けて発信されます。1867年のパリ万博に朴正官(ぼくせいかん)作の金襴手花瓶が出品され、1873年のウィーン万国博覧会には十二代 沈壽官(ちんじゅかん)の金襴手花瓶などが出品され好評を博しています。その結果、「SATSUMA」の商標で世界中に輸出されたといわれています。
薩摩金襴手(さつまきんらんで)とは白薩摩に金泥で装飾した色絵陶器をさします。京都でも絵付けがされるほどの人気で、それを京薩摩とよびます。20世紀に入ると需要は落ち込みますが、沈家をはじめその精緻な技術が現代に伝わります。
美山の里
アンテナショップである美山陶友館では陶芸体験もできるほか、各窯元の作品が展示販売されています。窯元の地図ももらえるので立ち寄るとよいでしょう。
古薩摩の展示品は沈壽官窯で見ることができます。白薩摩を主に作り続けている窯元で、登窯や実際の作業風景も見ることができるので参考になります。
いくつか窯元を回ると注器である「カラカラ」や土瓶の「黒じょか」がよく見うけられます。窯によって形が微妙に異なるのであれこれ見比べるのも楽しいと思います。
また堂平(どびら)窯跡や南京皿山窯跡、御定式窯跡(ごじょうしきがま)、五本松窯跡などがこの地域にあります。いずれも窯の原形はとどめておらず、斜面を見れる堂平窯跡(長さ30.5m・幅1.2m・傾斜17度)にいけば規模とおおまかな雰囲気が分かります。