楽焼(樂焼:京都市上京区)
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樂焼(京都府京都市上京区)京都市営地下鉄 烏丸線 「今出川」駅ほか

 

樂について

樂焼(らくやき)とは樂家によって代々焼かれる陶器のことで主に抹茶椀が作られてきました。茶入・水差・香炉や向付も作られていますが、抹茶椀の数が圧倒的に多いといえます。

 

茶の湯における樂茶碗の発祥は、今から400年以上前の安土桃山時代に遡ります。当時は豊臣秀吉による治世下で、豪華絢爛な桃山文化が花開いた時期でもあります。

 

そして中国から輸入された唐物至上主義もややうすれ、朝鮮半島からもたらされた高麗茶碗がひとつの潮流をつくっていました。そうした背景の中、京都では樂茶碗が作られ、美濃(岐阜県東濃地方)では黄瀬戸・瀬戸黒が焼かれました。

 

桃山時代とはすなわち、日本国内で焼かれる国焼(くにやき)に世人の関心が高まった時期でもあります。

 

桃山時代の天正年間(1573年~1592年)の創始された樂焼は、初代長次郎(ちょうじろう 生年不詳~1589年ごろ)から現在まで十五代続いています。

 

当時の茶の湯宗匠であった千利休(せんのりきゅう 1522年~1591年)は、自分のわび茶の意匠を長次郎に伝えて赤樂・黒樂茶碗を作らせました。利休のわび茶の精神と長次郎の手技による共作といえます。製作年代としては赤楽の方が早い段階で焼かれたとみられています。

 

 樂茶碗の特徴

初期の茶碗は今焼茶碗(=現代の茶碗の意)として知られるほか、千利休(千宗易)の名から宗易形の茶碗とも呼ばれました。後年は白釉ほか多彩な茶碗も作られますが基本的に赤・黒の2つが樂茶碗を象徴する色となります。

 

赤樂は当時の聚楽第(じゅらくだい)付近から採れる黄土「聚楽土」を用いて低火度で焼かれました。真紅ではなくほんのり赤みを帯びた茶系の肌は土そのものの色を連想させます。この色は胎土(もしくは化粧土)に含まれる鉄分の発色とみられ、釉薬は透明に近いもので全体的に素朴な温かみをたたえています。

 

それに対して黒樂は黒釉をかけて1,000℃以上の高温で焼成されます。黒樂の釉薬は天然の賀茂川石(かもがわいし)を原料とし、石に含まれる鉄分と焼成後すぐに窯から取り出す「引き出し黒」の技法によって深みのある黒色が得られます。無をあらわす黒は、内に秘めた利休の侘びの精神性をよりあらわしていると考えます。

 

というのも利休作とされる二畳の茶室「待庵(たいあん)」がひとつの根拠です。この茶室は「南」が客の出入りするにじり口、北は床で行き止まりです。当時の東西南北をあらわす四神(しじん:四つの神獣)の考えでは「南は朱雀の赤」、「北は玄武の黒」となっています。

 

すなわち開かれた南(=赤)、閉じられた北(=黒)と見れなくもないです。また南は暖かく北は寒いと考えます。これを樂茶碗に置き換えると動的で温かみのある「赤樂」静的で冷え枯れる趣の「黒樂」ともいえます。秀吉が赤樂を好み、利休が黒樂をより用いたという伝承にも繋がります。

 

わび茶をあらわす言葉に「冷凍寂枯」(れいとうじゃっこ)というものがあります。わび茶の祖といわれる村田珠光によるもので、すなわち「冷える」「凍る」「寂びる(さびる)」「枯れる」です。黒樂のもつ印象はこのわび茶の理念にかなっています。

 

 樂茶碗のつくり

さて、これら樂茶碗はすべてロクロを使わない手づくね(手びねり)で作られます。表面には指で成形したあとなど細やかな起伏が見られるのが特徴です。

 

つまり手になじむサイズの茶碗を一品一品手作りで成形して削ったわけです。当然のことながら手づくねの生産効率は低く、一回の焼成で黒樂は1椀ずつ、赤樂でも3椀ほどしか焼けません。

 

当時は大窯から登窯に移行して大量生産が可能になった時代です。しかし樂の窯は生産性を無視して大量生産とは対極の選択をしました。とくに1椀ずつしか焼けない黒楽は鞴(ふいご)を使って風を送り、鞴を用いない赤樂と比較して工数と手間がかかります。現在も昔と変わらない方法で樂茶碗が焼かれています。

 

なお赤樂・黒樂ともに吸水性がたかく軟質であるといえます。低火度で焼く赤樂はもとより、高温焼成の黒樂でも焼成時間が短いため焼き締まりが少ないです。

 

その結果、抹茶の熱がゆるやかに伝わり手ざわりもやさしくなります。これが硬く焼き締まれば温度伝達が早く、茶碗の熱さに意識を取られ心地よくありません。

 

そして見込みには茶巾の触れる茶巾摺り(ちゃきんずり)、茶筅があたる茶筅摺り(ちゃせんずり)、それぞれの位置に違った削りが施されます。その結果、喫茶という用の観点から使いやすさと美しさを兼ね備えています。

 

また、茶碗の大きさは両手の内に収まるサイズで、相対的に小ぶりの茶碗が多いといえます。その形は長次郎(工房)作とされる「無一物」(むいちもつ)のような腰がゆるやかに立ち上がる形(椀形)と、「俊寛」(しゅんかん)のように腰から口縁までまっすぐ伸びた形(半筒形)が代表的なものでしょう。

 

長次郎は多くの職人を雇った工房で作陶し、長次郎の個人作といわれる作品も工房全体で作られたとする見方があります。こうした伝世品から現代作品は樂美術館で見ることができます。本家の佇まいとともに樂歴代の作品を楽しめます。

 

 

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