抹茶の歴史
陶磁器と直接関係はありませんが、茶碗に欠かせない抹茶について取り上げたいと思います。
抹茶は日本でも馴染みのあるものですが中国で生まれました。伝世する書物や言い伝えに基づき、茶葉の発見から抹茶の誕生までをまとめます。
お茶の起源
時代 | 文献 | 概要 |
---|---|---|
紀元前 |
現存せず |
神農(しんのう)という農業と医療の神が、薬としての茶をはじめて見つけたといわれています。後述する茶経には神農食経という書物を著したと伝えられています。 |
紀元前 |
僮約 (どうやく) |
前漢末の詩人である王褒(おうほう)による戯曲です。主人と奴隷の主従契約と日常を描いた作品で、その中に「武陽に茶を買いに行く」記述があるといわれています。武陽は四川省彭山県のことを指します。四川が当時の茶の名産地で流通があったと推測されます。 |
1世紀~ |
神農本草経 (しんのう ほんぞうきょう) |
作者は不明ですが後漢~三国時代に成立した最古の薬物書といわれます。365種類の薬草などを上・中・下の3つに分類しています。今でいう薬害リスクの高いものを下、リスクが低く長期使用できるものを上としています。この中で、毒にあたった神農が茶を食して全快したと伝えられています。 |
3世紀ごろ |
廣雅 (広雅 こうが) |
三国時代、魏の張輯(ちょうしゅう)による著書です。湖北省と四川省の中間地域では採取した葉っぱを餅にする。と書いた中で「古くなったこの餅を飲むときは赤くなるまで焙り、容器に入れて湯を注ぎ、ネギ・生姜・みかんの皮を混ぜて飲む」と書かれているそうです。薬味は入れませんが、現代の煎茶とさほど変わらない飲み方です。 |
8世紀 |
茶経 (ちゃきょう) |
茶聖と呼ばれる唐時代の陸羽(りくう 733年~804年)による有名な編著で全3巻、10篇に分かれています。その6篇「茶の飲み方」と7篇「古代から唐代までの茶事」では周~斉~漢~呉~晋時代まで飲茶の習慣があったと記されています。この記述通りに考えれば紀元前11世紀から5世紀までの間、茶が飲まれ続けてきたことになります。また、唐代の茶は餅茶(へいちゃ)という固形のものが広く知られていました。3篇では餅茶に湯を注ぎ竹箸でかき混ぜる記述があります。古代から唐代までの茶文化の記録と煎茶法の教科書です。 |
11世紀なかば |
茶録 (ちゃろく) |
北宋の蔡襄(さいじょう)による著書です。上下巻からなり上巻で茶のこと、下巻で茶道具について記述されています。宋代に入ると餅茶は団茶(だんちゃ)とも呼ばれ、これをに湯を注ぎさじでかき混ぜる点茶法の教科書です。さじは金・銀・鉄で作られ重みのあることが肝要とされていたようです。ここで茶道具における茶筅の起源がみえてきます。 |
12世紀はじめ |
大観茶論 (だいかん ちゃろん) |
北宋の第8代皇帝である徽宗(きそう)の著作です。1191年に栄西が中国から日本に茶を持ち帰るよりも大分前に著されています。茶葉を団茶にせず粗びきして粉末にする記述と竺副帥という茶筅のようなものが使われています。これは平べったいササラ状のもので茶を撹拌する道具です。茶録と同じく点茶法の教科書といえます。こうしてできた抹茶文化を、日本から来た栄西が持ち帰り伝えていくのです。 |
いかがでしょうか。茶は中国で発見され宋の時代に抹茶と点茶法(抹茶法)が生まれています。そして栄西によって日本に紹介され現在に至ります。
その後の中国では抹茶文化は長く続かず、宋代末から明の時代には廃れてしまったといわれています。それに対して日本に伝わった抹茶は、茶道と共に日本独自の発展を遂げた点が興味深いといえます。
その発展要因には日本固有の「わび茶」の隆盛があり、わび茶に関わる陶磁器(抹茶椀・茶入・水指・花器ほか)の重要性が高まった時代背景が欠かせなかったと考えられます。