見立ての面白さ
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見立ての面白さ

 

見立てとは

見立てとはあるものを別の用途で使うことをいいます。ただし「こんな用途で使ったら面白そう!」とか「美しいだろうなぁ」といった考え方です。茶杓が見つからない私が指で抹茶をつまむとします。これはただの代用で面白くも美しくもありません。

 

突然ですが「身近なもので花入になるものはありますか?」といわれたらどうでしょうか。あたりを見回すと花が挿せそうなものがいくらでもあります。

 

たとえば筒状のカップや小鉢、片口でも丈の短い花なら十分使えます。ワインの空き瓶も陽を浴びれば、ボトルの色をした影と水の揺れる様子が美しいと思います。このように見立ては自由な発想が面白く、また実際に楽しんでいる方もたくさんいると思います。

 

これは実際に家で使っている例ですが飯椀に抹茶を点てています。

抹茶碗へ見立てる

普段はご飯を盛るだけの斑唐津(まだらからつ)の椀です。小ぶりな抹茶碗くらいのサイズで手にすんなり収まります。陶器は熱がゆっくり伝わりますので湯が熱めでも問題ありません。藁灰釉の乳濁した見込に緑の抹茶が映えるので気に入ってます。

 

抹茶椀の場合、ほとんどの場合において飯椀よりも高価です。というのも原土の質も違えば、作りにも趣向を凝らすため当然のことといえます。この飯椀は斑が流れる釉調と土味が気に入って買いましたが、同じ作り手の抹茶碗は作り・土味ともに良かったです。ただ、なかなか手が出ませんので見立てることで自分なりに楽しんでます。

 

次の画像は盃に和菓子をおいています。
菓子皿へ見立てる
唐津の酒器屋で手にしたこれも斑唐津の盃です。土は鉄分を多く含むため黒褐色です。土の鉄分と藁灰釉が反応して青味がかった淀みが出ています。手取りや見た目は好きなのですが、いかんせん酒を注げる容量が少ないです。

 

酒がすすむと量が注げる大ぶりなぐい呑みに移行するため、この浅めの盃は出番が少なかったです。家人が「買ったなら使いなさい!」ということで、ちょっとしたツマミや菓子を盛ったのがはじまりです。

 

見込がわりと平らなので和菓子のおさまりも良く、洋菓子・惣菜など何かと盛り付けます。ほかの豆皿と同じような感覚で使えるので大切にしています。

 

さて、この画像は何かが突き立てられたものをぐい呑みとして使っています。
ぐい呑みへ見立てる
これは上記の和菓子にそえた黒文字(くろもじ:和菓子を切る楊枝)です。ぐい呑みに見立てたこのうつわは楊枝立てとして売られていました。益子の量販店で小さな取手付のものと並んでいたものです。実際はつま楊枝用なので黒文字だと思い切りはみ出しています。

 

画像だと分かりにくいのですが、削って段をつけたうつわに鉄釉が施されています。楊枝が入るため見込がわりと深く、凹凸に指が添うので持ちやすいです。全体的に黒色の作品ですが、使い込むうちに見込みにやや緑が差してきました。

 

器種にこだわらず、あれこれ考えるのが見立ての醍醐味です。

 

 見立ての名人

見立てといえば私は茶人を思い起こします。現代に伝わる茶の湯の名品をみると、そこには茶人たちの慧眼がみてとれます。もともとは日用使いの椀を茶碗と見立て、油壺を茶入とし、ただの手桶を水差にしたわけです。道具の選定には柔軟な発想力と機知が求められます。

 

その自由闊達な思考と遊び心は、あまたの日用品を美的価値のある工芸品へと捉えなおしたわけです。

 

もちろん偉人たちの感性や審美眼は真似できるものではありません。しかし「AをBに使ったら素晴らしいだろうな」という考え方を実践することは誰でもできます。ゆえに誰しも自分なりの使い方を見つける達人になれるはずです。

 

 

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