山茶碗
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山茶碗

 

山茶碗とは

山茶碗(やまぢゃわん)は11世紀ごろの常滑や瀬戸周辺のほか、東海地方西部で焼かれた日用雑器のことです。

 

日用品として大量に焼かれた山茶碗は、須恵器の窯の技術を広めた伝承をもつ僧「行基」の名をとって行基焼(ぎょうきやき)ともよばれます。集落部のほか山中の廃棄場所である物原(ものはら)からも大量に出土したことが名前の由来とされます。

 

はじめは高台のあるものが出土していますが、13世紀ごろからは高台のない簡素な作りになっています。窯の焼成温度の上昇とともに薪の灰が熔けた自然釉のかかる山茶碗も出てきます。

 

山茶碗はその作りの簡素さと自然釉の美しさが特徴といえます。画像はビードロ色の自然釉とこげが見られます。

山茶碗正面

手に取るとこの土味が印象的です。石はぜや器面のブク(泡状にふいたもの)が土の粗さをあらわしています。よくこんな土でロクロ引き出来たなと驚かされます。

 

裏側と見込をみると凹凸の表面に自然釉がみられます。粒状になった緑の自然釉は、光にかざすと淡い輝きを放ちます。

山茶碗の表と裏

山茶碗の裏側と内側(見込み)。大小の凹凸と見込みには重ね焼きの跡が残る。

 

骨董市や店で見た山茶碗のなかには聞くところによれば茶を点てたものもあります。見込みには画像のような凹凸がほぼなく、金や漆で直しをした作品などは茶事で使われたものもあるようです。

 

この画像のような凹凸の多い山茶碗では、茶筅も傷みますし実用には向かないでしょう。ただ、素朴な色合いが抹茶の緑と合いそうなのと、作品によっては歪んだ形もあるので意外性というか面白味はありますね。

 

いかにも土を焼いただけ!という趣からでしょうか、この山茶碗は背の低い野花を無造作にいけても様になります。ひとつとして同じものがない山茶碗には不完全な美しさがあります。

 

 山茶碗の用途

さて山茶碗は当時の人々にどのように使われていたのでしょうか。形としては一般的な平茶碗のような椀形から、片口のついた注器のようなもの、やや見込みが深い鉢のような形と様々です。

 

口縁部をはじめ表面がザラついているものは、口をつけて食べる椀には向かなかったでしょう。なぜなら飯椀や汁椀には同時代でも使いやすい代替品、たとえば端正な作りの須恵器や漆器があったからです。

 

したがって食用で用いられたとしても、現代の飯椀というよりは、おかずを盛る小皿のような感覚ではないかと推測します。片口では酒や飲料水などを注いだでしょうし、鉢型のものでは穀物の貯蔵のほか凹凸を逆手にとってすり鉢に使われたかもしれません。

 

なにせ東海地方を中心に、中世のあらゆる集落から出土しているため、集落単位で何に使われても不思議はないのです。

 

なお平安後期から室町前期までという長い期間作られた経緯もよく分かっていません。もちろん無釉で水簸もしない山茶碗は、施釉陶器と比べて製造コストはかからないでしょう。しかし代替品はいくらでもある中、なぜ4世紀近くも作られ続けたのでしょうか。

 

山茶碗はこうした謎めいた一面がある一方、簡素な佇まいが魅力といえます。日用雑器のもつ屈託のない美しさが、長年愛用された理由のひとつではないでしょうか。

 

 

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