釉裏金彩と吉田美統
釉裏金彩とは
釉裏金彩(ゆうりきんさい)は素焼きした素地に金箔(きんぱく)を貼りつけ、透明釉をかけて低火度焼成する技法です。高温で焼くと金箔が変形するため1,000℃未満の低温で焼成することになります。
金箔や金泥(きんでい)で装飾する金彩は、一般的に釉薬の上に施されます。これを釉上彩(ゆうじょうさい)といいますが、釉裏金彩は釉薬の下(裏側)に施されるため釉下彩(ゆうかさい)の一種でもあります。
釉裏金彩の利点としては金が釉薬に守られている点が挙げられます。そのため釉上彩のような金箔が剥がれるようなこともなく耐久性に優れています。また、作品として完成したあとは汚れもつかないうえ色合いも変わりにくいものです。
しかし金箔に釉薬をかけて焼成するため、釉との反応によって金箔が変色したり、釉との兼ね合いで意図する金色に発色しないことがあります。このように美しさと耐久性を兼ね備える反面、繊細な金箔を扱うきわめて高い技術と経験を要します。
現代における釉裏金彩の第一人者としては人間国宝の吉田美統(よした みのり 1932年~)が挙げられます。
加藤土師萌の金襴手との出会い
吉田美統は石川県小松市にある錦山窯(きんざんがま)の三代当主として知られます。錦山窯は1906年に開窯した九谷焼の窯元です。美統氏は19歳で家業に従事すると、金襴手(きんらんで)や色絵など上絵を主体とした作品を作ります。
釉裏金彩の技法へ傾倒するきっかけは、加藤土師萌(かとう はじめ 1900年~1968年)の作品といわれます。「色絵磁器」の人間国宝である加藤氏が亡くなった1968年の遺作展で萌葱金襴手(もえぎきんらんで)の作品を目にします。萌葱色の釉薬と金彩の美しさに魅了された吉田氏は、釉薬の研究と釉裏金彩の作陶を試みます。
吉田美統の釉裏金彩
氏の作品を見るとまず色彩の濃淡が目にとまります。金箔のなかでも色の濃いもの薄いもの、下地の釉色も単色の作品もあればグラデーションのある作品もあります。これらはどのような技法を使っているのでしょうか。
金箔についてはおおむね厚いものと薄いものを用意します。厚いといっても5nm(10,000分の5ミリ)ほどの金箔だそうです。薄いもので3nmくらいでこの組合せで濃淡を出しています。貼りつけた時点では分かりにくいものの、焼成後には厚い金箔は色が濃くなり、薄いものは淡い色になります。
金箔の加工は医療用の小型はさみを使って、和紙で板挟みにした金箔を切り取ります。金箔はその薄さから直線的なものが一般的でしたが、この創意工夫によって自在に成形しています。貼り付けはピンセットでつまんだ金箔を、フノリ(糊の一種)を塗った器面に接着します。
作業工程は素焼した胎土に色釉をかけて焼成します。焼成後に金箔を貼ってから低火度で焼きつけます。そして透明釉をかけて本焼きします。このように素焼きを含めて少なくとも4回の焼成をしますが、実際は5回以上焼くこともあるそうです。
釉薬の濃淡については同系統の色釉を筆おきしています。たとえば皿の見込の中央部に濃い緑を配したら、外側に向かうにつれて白よりの緑を配色してグラデーションを出しています。こうした細やかな工程を経てはじめて作品ができあがります。氏の作品は金箔がくっきり定着しているうえ器面は滑らかで光沢が出ています。
氏は日本伝統工芸展を中心に入賞・受賞を重ね、2001年には国の重要無形文化財「釉裏金彩」保持者の認定を受けます。
歩留まり(=良品が出来る確率)については詳しく聞けませんでしたが、簡単にできるとは到底思えない工程です。下地の発色はもちろん金箔の融解によるにじみや表面の傷・欠けも当然出てくると思います。度重なる焼成など厳しい条件をクリアした作品だけが、いま私たちの目の前に並ぶのです。