スリップウェアとバーナードリーチ
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スリップウェアとバーナード・リーチ

 

スリップウェアとは

スリップウェアは化粧土と泥漿(でいしょう)で装飾した陶器のことです。釉薬は基本的に鉛釉(えんゆう)を施します。

  • 化粧土と泥漿:粘土を水で熔いたもので筆で描いたり、スポイトで絞り出せる状態のもの。ともにスリップといいます。化粧土は独・仏・英語でエンゴーベ(engobe)とも呼ばれます
  • 鉛釉(えんゆう)・・・鉛を主原料にしてシリカ(二酸化珪素)を加えた釉薬。鉛は融点が低く熔けやすいので低火度釉(1,100℃未満で熔ける)に分類されます。たとえばガレナ釉など。

スリップウェアのはじまりは古代メソポタミア文明まで遡るといわれています。古代中国・中東・欧米諸国など世界各国で焼かれた陶器ですが、中でも17世紀のイギリスで作られた作品が広く知られます。

 

イギリスのスリップウェアは泥漿(スリップ)とガレナ釉が特徴で「スリップウェア」といえばこのイギリス産の作風が象徴的なものといえます。17世紀初頭にロンドン、ルータム、スタッフォードシャー北部を中心に19世紀中ごろまで盛んに作られました。大皿やジャグ(ジョッキのこと)のほか、複数の取手が付いた注器である「ティグ」が有名です。

 

現代作品でトフトウェアと呼ばれる形の大皿は17世紀の名工トマス・トフトの名がその由来です。現在はガレナ釉に限らず釉薬・装飾ともにバリエーション豊富で、うつわの耐久性を高めるため高火度焼成もされています。

 

 スリップウェアの作り方

まず素焼き前の素地に、スポイトや筒を使って泥漿で模様を描きます(=スポイト描き・筒描き・イッチン描き)。複数の線を泥漿で描いてから、棒で直角になでると「矢羽根型」の模様にもなります。素焼きをしたら釉薬をかけて本焼きします。

 

これは一例ですがスポイトで盛られた模様が浮かび上がって画像のような作品ができあがります。

スリップウェアの作り方

この例では素地に黄色の泥漿をスポイトで施しています。次に素焼きして褐色の釉薬をかけて本焼きしたものと推測します。

 

ただし皿を重ね焼きできるよう、中央部は釉薬をはがして素地がむき出しになっています。こうした釉剥ぎ(ゆうはぎ)は重ねて量産する場合によく見られ、ロクロを回しながら工具で削り取ったものでしょう。素地・釉薬・スポイト描きが分かりやすい一例です。

 

仮に素焼き前に化粧土を塗ったとします。たとえば素地の上に白化粧をして表面を描き落とせば、下地の素地が見えて模様になります。自由に模様を彫って色の対比をあらわせます。

 

もちろんスポイト描きの泥漿も複数の色を使ってもよいでしょう。または化粧土を流し掛けする、皿を傾けて化粧土が流れるまま模様にするなど加飾方法は無限にあると思います。化粧土の色合いをそのまま活かしたいなら透明釉をかけて焼成します。

 

 バーナード・リーチについて

バーナード・リーチ(1887年~1979年)は1920年にリーチ窯を築いてスリップウェアを作ったことで知られます。17世紀にはじまり19世紀末に一度は途絶えたスリップウェアを甦らせた工房といえるでしょう。

 

リーチ窯(The leach pottery)はイギリスのセント・アイヴスにあって現在も民芸調の陶磁器やスリップウェアを作り続けています。世界的に知名度のある工房といえます。

 

リーチ氏はイギリス人ですが、父親の仕事の都合により香港で生まれました。母親の死後は祖父がいた京都で幼少期を過ごし、10歳からはイギリスに帰国してロンドン美術学校を卒業します。1909年に再び来日して東京でエッチング(版画の彫模様をあらわす技術)を教えている折、後の民芸運動で知られる柳宗悦(やなぎ むねよし)と出会います。

 

生徒であった柳氏のほか、色絵磁器の人間国宝になる富本憲吉(とみもと けんきち)と交流をもつのもこの時期です。柳氏と富本氏は「Quaint Old English Pottery」(「古風な英国陶器」:チャールズ・ロマックス著 1909年発行)によってスリップウェアの存在を知りました。

 

両氏の紹介でリーチ氏ははじめてスリップウェアを知ることになります。その後はこの人脈を通じて濱田庄司(はまだ しょうじ)とも知り合い、1920年に一緒に渡英したことがリーチ窯のはじまりとなります。

 

渡英後のある日、リーチ氏と濱田氏はスリップウェアのある技法を解明しました。それは前述の「矢羽根型」の模様についてです。画像のような装飾です。

矢羽根模様の謎

連続するシマ模様をナイフで下にひっかくと・・・

 

現地でみた矢羽根の装飾が分からず悩んでいたところ、朝食があっさり答えを出してくれたそうです。まずパンにバターを塗ってジャムをかける。その上に横縞にコーニッシュクリームをかけて「ナイフで切る」と・・・矢羽根模様ができあがっていました。二人は手をたたいて喜びクリームを泥漿に置き換えて矢羽根模様を再現しています。

 

こうした二人三脚を経てイギリスと日本にはスリップウェアの礎ができあがります。

 

現在のスリップウェアはまずバーナード・リーチと柳宗悦の出会いがはじまりともいえます。一度は途絶えたスリップウェアが「Quaint Old English Pottery」という一冊の書物によって紹介され、民芸メンバーを通じて英国人リーチ氏に伝わりました。そして濱田氏との渡英とセント・アイヴスでの築窯によって現代のスリップウェアへとつながるのです。

 

 

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