鉄絵(黒花)と田村耕一
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鉄絵と田村耕一

 

 鉄絵とは

鉄絵は酸化鉄(鉄に生じるサビの成分)を含む絵の具で描かれるため銹絵(=錆絵:さびえ)とも呼ばれます。素焼きした素地に絵を描いて、その上に釉薬をかけて焼成します。これを釉下彩(ゆうかさい)といい下絵付けと呼びます。

 

つまり鉄絵は酸化鉄で下絵を描く技法といえます。中国では鉄絵のことを黒花(こっか)と呼ぶこともあります。ここでいう花とは「模様」という意味で、鉄絵が黒く発色することから黒花といいます。

 

酸化鉄を含む材料といっても、実にたくさんの種類があります。

  • 黄土(おうど):黄色がかった土で細かい粒状の堆積物です。二酸化ケイ素が多く含まれ(60%ほど)、酸化アルミニウム、酸化カルシウムの他、5%ほどの酸化鉄と有機物で構成されます。
  • 鬼板(おにいた):瀬戸や美濃地方でとられる鉄鉱物の一種ではじめは志野や織部に使われました。出土するものは概ね茶色で板状のものです。その塊は突起が多いため、見つけた人には鬼の金棒のようにも見えたのでしょう。そこから鬼板と名付けられたそうです。代表的な鉄絵の材料といえます。
  • 黒浜(くろはま):花崗岩のような岩石に含まれるもので、岩石が風化したあとに残った砂鉄のことです。黒褐色で磁鉄鉱とチタン鉄鉱からできています。
  • ベンガラ:酸化鉄を主成分とする顔料のことです。日本でも馴染みのある材料でべにがらとも呼ばれ様々な用途に使われています。ちなみにインドのベンガル地方で産出されるためこの名前がつきました。
  • 水打ち(みずうち):水酸化鉄を含む黄色の粘土のことです。鉄分を含んだ水が流れると、長い時間をかけてその鉄が黄色いかたまりとなって沈殿します。それを用いたため水たれ・水落ちとも呼ばれます。

鬼板 画像

鬼板の原石。天然のサビであり鉄絵の代表的な原材料のひとつ

 

これらの材料を砕いて絵の具状にして描画します。鬼板単体で使うこともあれば、これらを混ぜ合わせても使います。鬼板に黄土・ベンガラを混ぜると滑らかになり、素焼きした素地に絵が描きやすくなります。

 

発色は釉の厚みと酸化鉄の含有量によって黄~褐色~黒~茶色と差が出ます(酸化焼成)。もちろん酸化鉄いがいの物質も発色に影響します。しかし鉄の話に限れば、濃度が薄い黄色から濃くなると黒色になる傾向はあります。

 

この技法の大成者として田村耕一(たむら こういち)が挙げられます。氏は鉄絵の人間国宝として広く知られています。

 

 田村耕一の軌跡

田村耕一(1918年~1987年)は栃木県佐野市に生まれます。私は同県の生まれなので氏の作品をきっかけに陶磁器に興味を持ちました。田村氏は地元の人形店に生まれ、幼少のころから人形や鯉のぼりの絵付けでその画才を磨いたといわれます。

 

その作品は白、青、または黒と釉色は様々ですが、ホタルブクロや椿などのモチーフに鉄絵が施されています。現在はあるか分かりませんが、邸宅内の竹林には野生の草花が自生していました。

 

田村氏はこうした素朴なモチーフを好んで描いています。その草花は写実的ではなく、デフォルメされた筆致と釉の発色の掛け合わせで一目で先生だと分かる作風は今も斬新な魅力があります。

 

氏は東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)工芸科図案部を卒業。琳派(りんぱ)に私淑する氏ははじめ画家志望でしたが、在学中に陶芸の基礎を学び興味を持ったと言われています。21歳のころ栃木県益子で活躍していた濱田庄司(はまだ しょうじ。当時45歳)を訪ね、佐久間藤太郎らとも面識を持った時期です。

 

戦後は京都に赴き輸出陶磁器のデザイン研究所で富本憲吉(とみもと けんきち)の指導を受けます。京都での2年間で色絵磁器を学び地元に戻ります。その数年後、濱田庄司の薦めで栃木県窯業指導所の技官になっています。

 

これは学生時代に地元の巨匠と出会い陶芸の道に進むと決め、卒業後に芸術の都である京都で修行をして帰郷したと見てとれます。そして作陶をはじめて10年という短期間で現代日本陶芸展、日本伝統工芸展で相次いで入賞を果たしています。

鉄絵と銅彩

代表的な作品では青磁(もしくは白化粧など)に褐色の鉄絵が浮かび上がり、そこに銅彩でぶどうや椿が描かれています。青磁は1973年(田村氏は55歳)ごろからの作品群で簡素化されたモチーフは柔和な筆致で描かれます。

 

絵の配置・構図の巧みさと、釉色も含めた全体のバランスの良さが特徴です。

 

意外なことに、青磁に絵を描いた作品は当初酷評されています。遺族によれば「青磁に絵付けは不要」「鉄絵が青磁の釉調を台無しにしている」「野暮な意匠」とはじめは評されたそうです。しかしその完成度の高さと美しさ・独創性が好評を博し非難する声は賛辞へと変わります。そして青磁に鉄絵は田村耕一の代名詞となりました。

 

また、田村氏は1967年から母校の芸大で教鞭をとり後任の育成に励んでいました。そして退官して東京芸術大学名誉教授になった1986年、国の重要無形文化財「鉄絵」保持者に認定されます。なお同年佐野市の名誉市民ともなっています。

 

残念なことにその翌年亡くなりますが、数々の名品は「人間国宝 田村耕一陶芸館」で見ることができます。佐野駅から旧50号方面に歩いて5分ほどで着きます。是非とも実物を眺めながら鉄絵の魅力を楽しんでみてください。

 

 

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