常滑焼(急須)と三代山田常山
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常滑急須と三代山田常山

 

常滑の急須

常滑(とこなめ)は平安時代の後期から現代まで続く窯業地(愛知県常滑市)です。中世における無釉焼き締め陶の一大産地として知られます。その歴史において明治時代に急須の文化が中国からもたらされます。

 

その立役者として「陶祖」と呼ばれる鯉江方寿(こいえ ほうじゅ 1821年~1901年)がいます。方寿は1878年に中国から金士恒(きんしこう)を招いて急須作りの技法を広めます。

 

すなわち朱泥・紫泥急須の名産地であった、中国の宜興窯(ぎこうよう)の技術が現代の常滑急須のルーツといえます。

 

鯉江方寿や金士恒から成形を学び「金士恒」の印を許された陶工は、杉江寿門(すぎえ じゅもん1826年~1898年)・山田常山(初代:やまだ じょうざん1868年~1942年)・片岡二光(かたおか にこう1821年~1903年)の三名工のみとされました。

 

その山田家の三代にあたる山田常山(1924年~2005年)は常滑焼(急須)の人間国宝として知られます。

 

 三代山田常山の急須

氏は初代常山と父である二代常山に学び1961年に三代目を襲名します。朱泥・紫泥・自然釉のほか、黒色の烏泥(うでい)や窯変を伴う南蛮手(なんばんで)、備前のように火襷(ひだすき)の走った急須など多彩な作品を遺しました。発色は素地に含まれる鉄分によるもので、紫泥や烏泥はさらにマンガンなど鉄を添加しています。

 

作品の色に加えて造形にも特徴があります。たとえば鎌倉期の常滑壺・甕のように肩が衝きだした「鎌倉形」、ソロバンの玉のように胴部が盛り上がった「ソロバン玉」などその形は実に100種類を超えるといわれています。

 

成形は本体・蓋・取手・注ぎ口を個別にロクロでひいたあと接着します。各部は総じて薄造りで手取りはとても軽く手になじみます。ロクロびきの作品にはロクロ目をそのまま残すものもあり、櫛で線描した櫛描き(くしがき)やヘラで線を彫りこんだ糸目(いとめ)などさりげない装飾が特徴です。

 

また、手に取って使う茶器ならではの触感にもこだわりが見られます。水簸した土のキメ細かな肌を特徴とする作品に対し、素焼きの粉を混ぜて作った「梨皮(りひ)」手は艶をおさえた落ち着いた器肌とサラっとした感触が魅力です。

 

氏はベルギーのブリュッセル万博でのグランプリ(1958年)を皮切りに、日本伝統工芸展をはじめ国内外へと数多くの出品と受賞を重ねました。1998年には国の重要無形文化財「常滑焼(急須)」の認定をうけます。

 

急須という制約された作陶において、造形の多様性という一面を持ちながらも、常山作とわかるオリジナリティを兼ね備えています。

 

特に鎌倉形で薪の灰をかぶった自然釉の作品は古常滑の品格が凝縮されています。古格と機能美を併せ持った、現代常滑の一面が見てとれます。

 

 

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