三彩と加藤卓男
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三彩と加藤卓男

 

 三彩の技法

三彩とは2種類の釉薬で加彩した陶磁器のことです。たとえば白い胎土に緑・飴色の釉薬をかけた奈良三彩(ならさんさい)などがあります。この場合は白・緑・飴色の合計3色で彩られたうつわ(=三彩)になります。

 

三彩の色数としては胎土の色をあわせて3色ですが、使用した色数は2つなので二彩(にさい)と呼ばれることもあります。先に挙げた奈良三彩のほか中国では漢や北斉(ほくせい)の三彩・唐代の唐三彩、明代の華南三彩なども有名です。三彩の起源は中国や中近東で1~2世紀ごろには作られています。

 

初期の三彩は低火度焼成のため、低い温度で熔ける鉛を使った釉薬が使われました。鉛単体では327.5℃であっさり熔けだします。ここに呈色剤としてほかの金属を混ぜて使います。

 

たとえば鉛釉に酸化鉄(飴色から褐色・黒に発色)、酸化銅(緑)、酸化コバルト(青)、酸化アンチモン(黄)、マンガン(紫)を混ぜて低火度焼成します。これら金属を加えると耐火度は上がりますが、混合によれば500℃くらいでも十分に釉が熔けます。

 

 三彩を再現するには?

一方、現代で三彩を再現するとすれば白い素地に緑釉(織部釉など)と飴釉をかけて酸化焼成すれば作れるでしょう。灰釉など基礎釉とよばれる釉薬に微量の酸化銅、酸化鉄をそれぞれ加えれば釉が得られます。使う釉薬は透明釉・緑釉・飴釉の3種類となります。

 

逆にこれを還元焼成で焼くとどうなるでしょうか。酸化銅を含む緑釉は辰砂(しんしゃ)色、すなわち赤く発色します。酸化鉄を含む飴釉は青く発色します。理論上では、白い素地に施釉して赤・青・白の三彩になるはずです。

 

なお酸化・還元いずれの場合も、鉛釉ではないので高温で焼成しないと釉が熔けません。したがって、1,000℃ほどの中火度~1,200℃を超える高火度焼成を行うことになります。

 

現代における三彩技法の大成者としては加藤卓男(かとう たくお 1917年~2005年)が挙げられます。「三彩」の人間国宝であり、ペルシア(イランの古称)のラスター彩を再現した事でも知られます。

 

 加藤卓男と幸兵衛窯

加藤卓男は岐阜県にある幸兵衛窯(こうべえがま)の長男として生まれます。幸兵衛窯は岐阜県多治見市にある窯元で1804年から現在まで続く歴史ある陶家です。卓男氏の父である五代幸兵衛は金襴手(きんらんで)や青磁の名工として知られます。

 

卓男氏は18歳で国立陶磁器試験所に入所して陶技を磨きました。その後は戦争によって作陶を一時離れ、配属先の広島で被爆したためおよそ10年におよぶ療養生活を余儀なくされました。

 

そして療養中に読んだペルシア陶の本がきっかけでラスター彩やペルシア三彩に興味を持ったと言われています。後に日本オリエント学会に入ったのもその研究のためでしょう。

 

30代後半には体調も回復し、ほどなくフィンランド工芸美術学校に留学。1961年、休暇を利用して以前から興味を持っていた中東を訪れます。その古窯跡とイラン国立考古博物館で見たペルシアのラスター彩陶器に魅せられ再現を決意したといわれます。

 

その後はラスター彩の復元と並行しながら、三彩・志野・織部・染付・天目・青磁・赤絵などじつに多様な作陶をしています。40代の加藤氏は日展を中心に活動していました。1963年および1965年には三彩で特選の受賞を重ねて高い評価を受けています。

 

また美濃陶芸協会(1963年~)の初代会長に就任するほか、地場の協同組合の理事を歴任するなど美濃焼の発展と後進育成に貢献したことでも知られます。

 

こうした実績により1980年には宮内庁から奈良三彩の復元依頼を受けました。この時期からは日本伝統工芸展に出品を重ね、正倉院三彩とペルシア三彩を取り入れた独自の三彩陶を発表していきます。

 

 加藤卓男の三彩

正倉院三彩の研究を経て1988年に「三彩鼓胴(さんさい こどう)」が完成します。鼓胴とは楽器の一種のことで皮を張って叩く太鼓のことです。宮内庁の依頼から8年の歳月と100回を超える試作を経て再現されました。

 

加藤氏の三彩は白い胎土に緑と褐色、透明の釉薬をほどこして焼成しています。古代の三彩は低火度焼成のため焼きが甘い軟質陶器です。

 

それに対して、氏の作品は高火度で焼かれるため、強度と美しさを兼ね備えています。透明釉によってうつわの表面は、なめらかで光沢があります。

 

彩色については白素地の余白を広くとりながら緑の銅釉が全体に施され、褐色の黄釉(飴釉のような鉄釉の一種)がアクセントとして配されています。銅釉は筆で流れるような精緻さでほどこされ、黄釉は随所にポイントで置かれます。これら色釉が流れる作品が代表的な例でしょう。

 

また、装飾については素地と同じ土で作った文様を貼りつける「貼花(ちょうか)」の技法や、ペルシア三彩で見られるような絵付けをした作品が見られます。

 

貼花は花入や壺の表面や取手に見られ、そこに黄釉や青いコバルト釉をポイントとしてかけた作品が特徴的です。絵付けは主に皿の見込部分に描かれた鳥や文様のほか、三彩の色釉を見込み全体に流した作品など多彩なものです。

 

こうした技法の確立によって1995年 国の重要無形文化財「三彩」保持者として認定を受けます。

 

氏の三彩を見ると緑は織部を思わせ、黄釉は黄瀬戸や古瀬戸の灰釉を連想することがあります。それは幸兵衛窯というバックグラウンドと、志野や織部など古陶磁の作例を知り尽くしているからでしょう。

 

そして伝統ある陶家の出身でありながら、ペルシア陶を現代に甦らせた氏の陶歴は前例のないものです。

 

「人の手がけていないものに憧れた。ラスター陶芸復活という途方もない夢を抱かなかったら、これほどがんばれただろうか」

 

加藤氏はラスター彩・三彩のほかペルシアの青釉を再現しました。美しさはペルシア陶を参考にしながら、独自の造形と装飾で加藤卓男の世界を創りました。氏は誰もなしえなかった古代ペルシア陶と日本陶の融合を成し遂げたのです。

 

 

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