濁手の技法
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濁手の技法

 

濁手について

濁手(にごしで)とは、柿右衛門様式の磁器に見られる乳白色の素地をさします。なお柿右衛門様式とは、17世紀半ばからヨーロッパに輸出された有田の色絵磁器の一群です。

 

濁手の乳白色の素地は「乳白手」(にゅうはくで)とも呼ばれます。従来の磁器が青味がかった白なのに対し、濁手の素地はほぼ純白であることが特徴です。

色絵松竹梅牡丹双鳳文大皿_伊万里柿右衛門様式

色絵松竹梅牡丹双鳳文大皿(柿右衛門様式。17世紀)画像提供:東京国立博物館:東京国立博物館ホームページ

 

濁手の利点は、その乳白色に色絵がはっきりと映える点といえます。素地の青味が強いと、どうしてもその青が色絵に干渉してしまいますよね。

 

たとえば赤絵の色で考えてみても、真っ白な濁手の素地の方がより鮮明な赤絵になります。濁手の素地は色絵を活かすには最高の素地といえるでしょう。

 

濁手作品には色絵が美しく映え、純白の磁胎を見せるため、余白を多めに取った作例もあります。色絵で器面を埋め尽くさず、あえて乳白色の素地を目立たせる意匠が見受けられます。

 

 濁手の調合

さて濁手は調合による素地精製が最も重要な作業といえます。酒井田家に伝わる『土合帳(1690年)』を参考にすれば

  • 白土:六俵
  • 山土:三表
  • 岩屋川内 辻土:二俵

この調合方式は俵合わせといいます。ちなみに1俵(ぴょう・ひょう)は現在の重さで60kgです。米などの穀物など、俵(たわら)で運ばれたものに用いられる単位のことです。この調合例では計11俵の土を合わせたことになります。

 

白土・山土の「土」は鉄分をほぼ含まない陶石であったと考えます。また辻土(つじつち)とは磁土の一種で最高級の白土のことです。

 

なお、岩屋川内(いわやがわち)は有田町の岩谷川内を指しています。そして白土が泉山陶石、山土は白川の土(もしくは陶石か)として、近年は以下のような調合が行われました。

  • 泉山:60%
  • 白川:30%
  • 岩屋川内:10%

有田町の泉山、白川、岩谷川内の3ヵ所が主な採掘現場だったようですね。磁石場のある泉山をはじめ、白川・岩屋川内も有田有数の採掘場であったことで知られます。

 

 濁手の消滅と再興

濁手は1650年代に最も初期のものが見られます。そして濁手技法の完成は延宝年間(1673年~1681年)、柿右衛門様式の成立と同時期といわれます。

 

しかし1700年代に入ると濁手の技法は途絶えてしまいます。もともと濁手は素地の調合が難しく、複数の陶石を混ぜるため収縮による歪みや破損が多かったといわれています。

 

その歩留まり(ぶどまり=良品が出来る確率)は3割ほどといわれ、良品を得ることは困難を極めました。ゆえに採算が合わず濁手作品は次第に作られなくなっていきます。

 

こうして江戸中期に一度は途絶えた濁手を、現代に甦らせたのが十二代 柿右衛門(1878年~1963年)です。息子である十三代と濁手の復元を試み、1953年に完全な復元に成功しています。

 

十三代の頃には柿右衛門製陶技術保存会が発足(1971年)。同年、重要無形文化財「柿右衛門(濁手)」の保存団体として認定されています。

 

濁手の技法は、工具や加彩による他の技法とは異なり、秘伝ともいえる素地調合が肝なのです。長期的に見れば原料の調達も難しくなるかもしれません。さらに焼成条件も厳しいうえ、作品の歩留まりも悪いのです。

柿右衛門の濁手

こうした作成要件の厳しさとは裏腹に、色調はやわらかく濁手独特の気品が漂います。そして器面の乳白色は、厳しい焼成条件をクリアしてはじめてもたらされる希少の美といえます。

 

 

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