白磁・青白磁と塚本快示
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白磁と塚本快示

 

 白磁とは

白磁は白い素地に透明釉をかけて焼成したものです。素地は鉄分など不純物が少ない白色粘土(または陶石)がおもに用いられます。

 

たとえばカオリンなど白色粘土のほか、有田の泉山陶石(いずみやまとうせき)などの陶石が原料に使われます。

 

これらは珪石・珪砂などの石英分を多く含みます。簡単にいえばガラスの成分が多いため、焼いた後に素地の大半がガラス化します。

 

したがって陶器を作る粘土よりも透明度が高く、光を通しますが水は通さないといえます。

 

こうした素地に透明釉をかけて高温焼成すると白磁ができあがります。透明釉は鉄分が少ない(=色がつかない)ことが要件となります。江戸以降の日本では、透明釉にイス灰(柞灰)が使われてきました。

 

イスの樹皮を燃やした灰は、石灰分が50%ほどで鉄分をほとんど含みません。しかし微量の鉄分は含まれるので、還元焼成すると淡い青味を帯びて発色します。また、上絵が定着しやすい性質を持つため、有田などの色絵磁器(上絵もの)にはうってつけの材料となります。

 

ただイス灰は量が限られているうえ、天然資源なので木によって成分差も出てきます。

 

よってイス灰の代用としては石灰釉が使われることがあります。ただし石灰釉は成分が安定している反面、単なる透明釉なので物足りなさがあるかもしれません。

 

 白磁の歴史

白磁の起源は古代中国まで遡ります。中国では北斉(ほくせい 6世紀後半)で白磁が焼かれていました。やや黄色味をおびた出土品から酸化気味に焼かれたことがわかります。

 

そして隋から唐(6世紀後半~10世紀はじめ)では青味がかった白磁が見られ、還元焼成したものと考えられます。これらは釉薬に微量な鉄分が含まれている事を示す一例となっています。

 

唐代には邢州窯(けいしゅうよう:邢窯)、宋代には定窯(ていよう)や景徳鎮窯(けいとくちんよう)で白磁の技術が確立していきます。景徳鎮では白磁の一種であり青い発色が特徴の青白磁(せいはくじ)が有名です。

窯の名称 所在地 稼動時期 特徴

不明
(北斉の白磁)

河北省

北斉(ほくせい)時代
(550年~577年)

やや黄色味をおびた白磁・三彩が主に焼かれた。

邢州窯
(けいしゅうよう)

河北省

隋~唐時代
(6世紀~10世紀はじめ)

河北省の臨城県・内邱県(ないきゅうけん)の古窯群。北朝時代にもあったとされ、唐代の白磁は『茶経』において雪のごとしと称賛されている。

定窯
(ていよう)

河北省
曲陽県

唐~元はじめ
(最盛は9世紀~13世紀)

宋代における河北の名窯。唐代初期からともいわれ、黄色味をおびた白磁(白定:はくてい)が主で彫花や印花などの装飾が特徴。一部に黒釉のもの(黒定)や柿釉のもの(柿定)がある。

景徳鎮窯
(けいとくちんよう)

江西省 漢代成立か~現代 北宋の景徳年間(1004年~1007年)に昌南鎮から改名。11世紀の北~南宋時代に青白磁、元・明の時代には純白の白磁が確立された。磁器生産の長い歴史により景徳鎮は「磁都」ともよばれる。

御器廠(ぎょきしょう)
※景徳鎮に置かれた官窯

江西省

明~清
(15~20世紀はじめ)

明代に景徳鎮の珠山に置かれた官窯。青花(染付)や金襴手などが多い中、「脱胎」「甜白」という独自の白磁を生産した。脱胎(だったい)は胎土が透けるほどの薄造りと彫が特徴で、甜白(てんぱく)は白色のうつわと質感により「甜」(甘く心地よいさま)と評された優品群。

白磁の技術は10世紀の朝鮮半島(高麗王朝)に伝わって軟質の白磁をうみます。そして李朝の15世紀には広州官窯(こうしゅうかんよう)で「李朝白磁」が大成します。また、日本へは17世紀(16世紀後半とも)に染付の技術と共に伝播したといわれています。

 

日本において純粋な白磁の数は青磁や染付と比べて少ないと思います。というのも染付や色絵の下地として白磁が使われたからでしょう。

 

現在は白磁を作る作家も増えて優品が数多くみられます。中でも白磁・青白磁の人間国宝である塚本快示(つかもと かいじ 1912年~1990年)がその大成者として挙げられます。

 

 塚本快示の白磁

塚本快示は岐阜県で製陶業を営む家系に生まれ、20代は家業に従事して過ごします。そして31歳の頃、小山富士夫(こやま ふじお)の『影青雑記』(いんちん ざっき)に影響をうけて青白磁を研究しはじめたといわれます。

 

影青(いんちん)とは青白磁の別名でもあり、上記の景徳鎮窯で確立されました。これは白磁の一種で還元焼成によって青味を帯びた釉調が特徴です。

 

塚本氏は青白磁の研究に没頭するあまり、作る食器を全て青白磁にしたという逸話もあります。また、白磁においては上記の定窯の作品を模範としたといわれます。

 

このように北宋時代の定窯と景徳鎮窯を手本として白磁・青白磁を作陶したといえます。

 

塚本氏の白磁と青白磁には、模様が彫ってある作品がよく見られます。工具によって彫られた模様は片切り彫り(片切彫:かたぎりぼり)と呼ばれます。

 

これは画花(かっか)の技法と似た彫刻技法ですが、片切り彫りはより深く模様が浮かび上がります。

 

たとえば花弁をヘラで彫ったとします。片切り彫りはその輪郭を際立たせるため、輪郭の外側から刃を突き立てて削ります。
片切り彫り
右の図でいえば黒い部分(=輪郭の外側)が削られて模様がより目立ちます。これが白磁ならば器面に陰影ができ、青白磁ならば溝にたまった青い釉薬の濃淡が生まれるわけです。

 

氏の作品は片切り彫りを効果的に使った作風がひとつの特徴です。作品は薄造りのため彫られた模様の部分は注意深く作られたはずです。こうした薄作りと彫りの技術が見どころです。

 

また、彫りのない白磁・青白磁の作品にも優品がたくさんあります。奇をてらわない造形と釉の濃淡がよいです。

 

塚本氏は1983年に国の無形重要文化財「白磁・青白磁」の認定を受けます。その作品は定窯の白磁・景徳鎮窯の青白磁の再現にはじまり、塚本氏の造形を加味した作風へと花開きました。

 

現在は白磁の人間国宝 井上萬二をはじめ、青白磁の深見陶治、白磁の黒田泰蔵など海外から高い評価を受けている作家は少なくありません。塚本氏は大正~昭和を代表する白磁の作陶家として、中国をはじめ海外から高い評価を受けた先人といえるでしょう。

 

 

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