琉球陶器と金城次郎

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琉球陶器と金城次郎

 

琉球陶器は沖縄産の原料で作られた陶器の総称です。ただ沖縄と一括りにするにはあまりにも広範囲にわたります。たとえば沖縄本島の他に宮古島、石垣島、西表島など海に囲まれた島々があるからです。

 

現在の沖縄本島において、陶器の産地といえば那覇市の壺屋焼(つぼややき)と読谷村の読谷山焼(よみたんざやき)が挙げられます。読谷山焼は壺屋の陶工たちが1970年代に移り住んで開かれた窯場です。これは排煙の問題で那覇市の薪窯が規制されたためです。

 

ここでは沖縄の代表的な壺屋焼に絞ってやきもの(ヤチムン)を紹介したいと思います。

 

壺屋焼の技法を大別すると、無釉焼き締めの荒焼(アラヤチ)や素焼きの赤色土器である赤物(アカムヌー)、施釉陶器である上焼(ジョウヤチ)の3つが主なものです。

 

 アラヤチ(荒焼または粗焼とも)

荒焼は釉薬を用いない焼き締めがほとんどですが、一部に泥漿やマンガンをかけて焼かれたものもあります。クチャとよばれる粘土が風化した黒土「ジャーガル」と琉球石灰岩が風化した赤土「島尻(しまじり)マージ」を混ぜて使います。割合はおよそ黒7:赤3とされます。

 

クチャは化粧品にも使われる沖縄産の粘土です。琉球石灰岩はサンゴや貝の堆積岩で沖縄本島の中南部や宮古島でごく一般的なものです。

 

粘りのあるジャーガルと水はけのよい島尻マージは荒焼に欠かせません。土の鉄分が多いため作品は赤褐色から黒褐色を呈します。もとはタイやベトナム、カンボジアからもたらされた南蛮焼や、備前焼のような雰囲気の窯変も魅力です。

 

 アカムヌー(赤物)

赤物は低火度で焼かれる赤色土器のことです。戦後あたりまで土瓶や火鉢が作られましたが、現在は作られていないようです。ジャーガルと島尻マージに「ニービ」という砂を混ぜて作ります。

 

ニービは渡名喜島(となきじま)によく見られる砂岩層です。素焼きものは上焼など一般に流通している赤土で代替えされています。

 

 ジョウヤチ(上焼)

上焼は施釉陶器のことで壺屋焼において最もよく見られます。施釉陶器なので釉上に加彩する上絵も含みます。

 

施釉の技術は17世紀はじめに薩摩藩から招いた朝鮮人陶工たちと、中国大陸からの技術伝播があったとされます。江戸時代はじめに湧田窯(わくたよう)に伝わり、1682年に近隣諸窯を統合した壺屋窯で完成したといわれます。

 

ちなみに湧田窯は壺屋に統合された古窯のひとつです。これら古窯については別の機会にまとめたいと思います。

 

さきの荒焼には装飾が乏しい一方、上焼には多くの装飾技法が用いられています。たとえば白化粧土を施した「白焼(シラヤチ)」、化粧土をかき落とす「線彫り」、スポイトで泥を絞り出して絵を描く「スポイト描き(=イッチン)」などです。

 

なお白化粧に使われる土は名護市で採れる白泥で、焼いてもひびが入りにくく上絵を引き立てます。また陶器を作る赤土は国頭郡の産がおおく、この赤土と白化粧の組合せがひとつの形として定着していると思います。

 

特徴的な形は携帯用の酒瓶である「抱瓶」(ダチビン)があります。これは持ち運ぶさい体に触れる部分が凹んで作られています。また、祝いの席で泡盛を入れて贈答する酒器「嘉瓶」(ユシビン)や、薩摩焼でも見られる「カラカラ」という注器も沖縄ではごく一般的なものです。

 

釉薬はコバルト釉・銅釉・飴釉・呉須などさまざまです。うつわは青・緑・赤・褐色・白・黄色で彩られます。くわえて色彩豊かな上絵にも上焼のエキゾチックな雰囲気がよく出ています。琉球赤絵として知られる上絵が有名どころでしょう。

 

さて、琉球陶器の現代作家では沖縄初の人間国宝である金城次郎(きんじょう じろう 1912年〜2004年)が特色ある作品を遺しています。

 

 金城次郎のあゆみ

金城次郎は沖縄県那覇市に生まれ13歳のころから陶業にたずさわりました。師は壺屋の名工と言われた新垣栄徳(あらかき えいとく)です。新垣氏は益子の濱田庄司(はまだ しょうじ)が沖縄に来たさい、壺屋焼を説明した人物です。そして、弟子の金城次郎を濱田庄司に紹介しています。

 

壺屋には濱田庄司をはじめ、河井寛次郎(かわい かんじろう)や柳宗悦(やなぎ むねよし)など民芸メンバーも来県して壺屋焼を絶賛しています。金城氏は民芸思想にも影響を受け、李朝の陶磁器にも造詣が深かったといわれます。終戦後の1946年、金城氏は壺屋に窯を築きます。

 

その後は沖縄最大の美術展である「沖展」、大正期から続く公募展「国展」で入賞と受賞を重ねます。冒頭で述べたとおり1970年代に入ると煙害のため那覇市が薪窯を規制。1972年に読谷村座喜味(よみたんむら ざきみ)に移転して登窯を築きます。

 

 金城次郎の技法

金城次郎は鉄分の多い赤土で成形したうえに白化粧と魚や海老が描いてある作品が広く知られます。

 

これは化粧土にイッチンで描くか、逆に工具でかき落として線彫りしています。琉球陶器といえば金城氏の魚紋と海老紋を思い浮かべる人もいることでしょう。この模様と装飾が特徴的な技法です。その他、指描きでの装飾や釉薬の流し掛けなど、益子や小鹿田にみられる技法も自らの作風にマッチさせています。

 

次に釉調についてです。氏の作品は線彫りの深めのみぞが釉薬の濃淡を生み出しています。これはイッチンでも同様で、器面の凹凸で呉須の青や、真鍮(しんちゅう)の緑釉の色が微細な濃淡をみせています。青が濃すぎないのは黒釉を混ぜているためです。この黒釉は黄土と灰を混ぜたもので飴釉にも蕎麦釉にもなります。日用品を旨とする壺屋ではよく使われる釉薬といえます。

 

また、透明釉にはモミの灰に珪石、石灰質の補填ではサンゴを用いてます。これらの原料は全て沖縄で手に入るものです。透明釉はさておき氏の作品を見ると釉が流れているのがよく分かります。

 

線彫りとイッチンの凹凸がないとさらに流れてしまうので、この装飾が釉薬をせき止めているわけです。

 

こうして金城次郎は独自の世界観を構築していきました。氏が陶業に関わり60年が経った1985年、国の無形文化財「琉球陶器」保持者に認定されます。

 

17歳年上の濱田氏は「笑った魚や海老を描ける名人は次郎以外にいない」と評したそうです。

 

戦後の琉球陶器において「魚」と「海老」は一般的なモチーフでした。それにもかかわらず、魚紋と海老紋は金城次郎の代名詞といえるほどの独自性と躍動感に満ちています。

 

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