備前焼と金重陶陽

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備前焼と金重陶陽

 

 備前の土

備前焼の土は大きく分けて干寄せ(ひよせ)と呼ばれる田土と山土があります。特徴的な田土は粘りがあり可塑性が高い土として知られます。水田を3mほど掘ると顔をのぞかせる黒い土が備前の代表的な田土です。

 

適度な大きさに切って採土したら風雨にさらします。これらの原土はおおむね3年から長いものでは十年以上も寝かせるといわれます。こうすることで土のアルカリ分が取り除かれ、焼成時のひび割れや歪みが低減されます。

 

この土は耐火度が高く、およそ1,100〜1,300℃の高温で焼き締めることで備前焼ができあがります。ただし急激な温度上昇には弱いとされ、窯の湿気を取る焚きで3日前後、1,000℃くらいの中焚きで3〜5日、最後の大焚きで1,200℃以上の高温で3〜5日間焚き続けます。

 

窯焚きにはおよそ10日から2週間ほどの期間を要するといわれます。

 

窯焚き後の冷却にも時間を要し、作品の数によりますが5日から7日ほどの冷却期間を設けます。窯焚きと冷却期間の気候も重要な要素となります。

 

たとえば晴れた日が続けば器面にツヤが出すぎたり、雨天が続けば落ち着いた肌合いになるものの傷や石はぜが出やすいと言われます。

 

備前の土は一定の耐火性はあるものの温度の乱高下にとくに敏感で、湿度にも左右されるデリケートな一面を持つのが特徴です。

 

窯出し後に磨く必要がある作品は、ペーパーで磨いて水洗いをしてさらに放置します。その時点での景色から、日を追うごとに作品の表情が変化していくといいます。

 

 備前焼の技法

原土は水簸(すいひ)するものもあれば、山土を混ぜた粗目のものもあります。水簸したなめらかな土は比較的小さな作品に多いと思います。しっとりした土味に火襷(ひだすき)や桟切り(さんぎり)など窯変を伴う茶入・茶碗や食器類などがその一例です。

 

それに対して粗目の土は大物の甕や壺、水差や大皿などによく見うけられます。粗い陶土の石はぜや肌の荒々しさを求める作品によく合います。このように意図する作品に応じた土選びがなされます。

 

成形はロクロのほか紐作りによるものが一般的でしょう。そして細工物と呼ばれる小物は、おおむね手びねりと型成形によります。

 

そのほか板状の粘土によるたたら作りやありますが、備前の土味をいかした豪快な大型作品は紐作りが多いと思います。粘土を紐状にして積み上げることで作品に力強さが加わり、ゆるやかな曲線を描いて立ち上がる器形には躍動感があります。

 

なお窯変については備前焼の産地紹介で挙げたものを抜粋します。

  • 緋襷(ひだすき):陶器同士がくっつかないように敷いた藁が焼けた跡です。藁のアルカリと土の鉄分との化学反応で緋色を呈します。
  • 胡麻(ごま):焼成中に薪の灰がかかり胡麻のような景色になったものです。その状態によって黄胡麻、カセ胡麻などと呼び分けられます。
  • 桟切(さんぎり):還元焼成させてできた青・黒い部分を指します。灰に埋もれるなど不完全燃焼の部分が桟切となります。
  • 牡丹餅(ぼたもち):器面についた丸い跡でまんじゅう抜けともいいます。徳利など円形のものを置いて炎や灰が当たらないようにして得られます。

これに加えて牡丹餅の応用ですが伏せ焼という技法もあります。たとえば皿を重ねて焼いた場合、上下のうつわによって火が当たらないまま焼かれる部分が出てきます。火や灰がかぶる部分には胡麻や桟切りが生じる一方で、火のあたらない場所は胎土がそのままの状態で仕上がります。

 

また焼成方法による色調についてですが、強還元で焼くと青味を帯びた備前ができあがります。窯を密閉して薪を過剰にくべれば、酸素が足りない状態で焼成されます(還元焼成)。

 

この酸素が足りない状態をキープして焼くといわゆる「青備前」ができます。さらに空気中の炭素を取り込み青黒いうつわになります。

 

なお粗目の塩を窯に投げ込んで、化学反応による青味を得る方法もあります。これは塩釉の技法と呼ばれ、塩に含まれるソーダ分が備前の胎土と反応してガラス状の釉薬として付着するものです。

 

こうした備前焼は平安時代末におこり、安土桃山時代にひとつの到達点をむかえます。山土と干寄せ土を使い、窯変をともなう千変万化のやきものとして確固たる地位を築きました。

 

しかし桃山陶以降の備前は、江戸期になると白釉をかけた「白備前」や、色絵をほどこした「彩色備前(さいしきびぜん)」のほか、細工物などに転じています。あとは薄作りの備前土に対し、水簸した黄土を化粧がけする「伊部手(いんべで)」が主流となりました。

 

そして明治〜大正期には、細工物や土管などがおもに作られています。野趣あふれる豪放な備前本来の作りは、時の経過とともに忘れ去られてしまうわけです。

 

この技法を現代に甦らせたのが備前焼の人間国宝である金重陶陽(かねしげ とうよう 1896年〜1967年)です。金重陶陽は桃山陶への回帰を提唱して失われた備前の技法を再現した人物です。

 

 金重陶陽のあゆみ

氏は備前六姓のひとつ金重家の流れをくむ陶家の長男として岡山県に生まれました。備前六姓とは室町時代後期に3つの大窯(南・北・西)の共同経営を営んだ陶家のことで、金重・森・木村・大饗・寺見・頓宮の六姓をさします。

 

陶陽は父の楳陽(ばいよう)のもとで、時流にしたがって置物や動物の細工物を学びました。細工物を作る職人は「でこ師」とよばれ、氏の細工物師は若くして名声を博しています。15歳から37歳ごろまでは細工物の名手として知られます。

 

また金重氏は32歳から表千家で茶道を学び茶陶への造詣を深めています。また大正から昭和初期の不況によって古備前は市で処分・放出されていきます。

 

氏はこうした売り立ての場があれば必ず足を運んで古陶磁の鑑識眼を養ったといわれています。このように陶工として確かな技術を持ちながら日常的に審美眼を磨いていました。

 

 桃山備前の再現

1930年(昭和5年)荒川豊蔵(あらかわ とよぞう)が志野の陶片を発見。桃山期の志野が瀬戸ではなく美濃で焼かれたことを証明して一大ニュースとなりました。このころから陶芸家や収集家は桃山陶への関心を強めていきます。

 

1930年の時点で34歳である金重氏は、故郷のやきものである古備前の再現を日々試みていました。実弟で陶芸家の金重素山(かねしげ そざん 1909年〜1995年)とともに田土・山土を求め続け、この時期からロクロ師へと転身して古備前の土味を得ています。

 

荒川氏の発見と時期を同じくして、金重陶陽は桃山の土味を再現していたといわれます。

 

こうした時流にしたがって、金重陶陽とその作品は全国的に知られていきます。ちなみに40歳のころ川喜田半泥子(かわきた はんでいし)に出会っています。1942年には半泥子、荒川豊蔵、萩の三輪休和(みわ きゅうわ:十代 三輪休雪)と「からひね会」を設立しています。

 

これは桃山陶の技法への探求と作陶精神を談ずる会であり、実業家で陶芸家でもあった半泥子と、後に人間国宝になる3人の陶芸家の交流の場でもありました。

 

氏の交流は実に幅広いもので、加藤唐九郎、石黒宗麿、小山富士夫、魯山人、イサム・ノグチなど枚挙にいとまがありません。

 

 金重陶陽の作品

金重氏の作品には土味・焼成・作りにおける技とこだわりがあります。

 

まず土は冒頭で述べた干寄せといわれる田土ですが、とりわけ「観音土」と呼ばれる良土を用いました。観音土(かんのんつち)は備前市田井山(たいやま)で採れた田土であり最上の土味であるといわれます。

 

この土を3年以上風雨にさらして水簸を用いずに精製します。中には水簸した例もあるようですが、大部分はいわゆる「はたき土」による精製でふるいをかけることもありません。そのため不純物が混じりながら独特の土味が得られました。

 

現在の田井山周辺は住宅や施設が並んでおり土自体も掘りつくされてしまいました。なお観音土の中でも等級があり、1番土・2番土〜とあるそうです。最上の1番土はとくに粘りが強く、氏の作品では徳利をはじめとして上質の観音土が使われています。

 

次に焼成についてです。胡麻や桟切り、火襷など多様な窯変の作品が多くみられます。とくに桟切りは登窯の狭間(さま)に置かれた作品でも取れたそうです。狭間とは登窯の部屋と部屋の間にある通炎穴のことです。

 

また通常の焼成室では、伏せ焼きしたうつわの間に藁をしいて、火襷や牡丹餅の作品を取りました。

 

現在では一般的になった備前の窯変も、陶陽の時代にはいま以上の失敗と成功の繰り返しだったはずです。窯詰で焼きが決まるという格言通りの試行錯誤がなされました。

 

最後にその作りについてです。豪快な作りにヘラ目の入った作品もあれば、しっとりした白味を帯びた土に火襷が入った作品など多岐にわたります。

 

これらは桃山陶にも見られる作風ですが、氏の造形は動きがある作品が多いと思います。端正すぎずわざとらしい歪みもなく、落ち着いた土味とあいまって動と静が一体となっています。

 

このように土・焼き・作りが三位一体となっている典型的な作風が金重陶陽の特徴といえます。

 

桃山陶への回帰にとどまらず、現在の備前焼の骨子となった技法の再現と後任の育成など、備前焼中興の祖といわれる所以でしょう。

 

その功績により1956年に国の重要無形文化財「備前焼」の保持者に認定されました。

 

『伝統から逃げ切ろうと思っても身体の中に流れる血がそれを許さない。伝統は生き続けているもので、伝統の深さがあればこそ日本人の生活にマッチしたものができるというものだ。』

 

桃山備前の古格を現代に甦らせ、伝統を取り入れながら現代の作風に昇華させた金重陶陽。氏の言葉の重みとその実践は、数々の優品に見てとれます。

 

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