窯変(ようへん)とは

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窯変とは:窯の中で起こる変化について

 

 窯変について

窯変(ようへん)とは窯の内部で作品に生じた色の変化のことです。窯の炎による現象であることから、「火変わり」とも呼ばれます。その色の重なりは時に模様を形成し、陶磁器の色彩をより深く、味わいのあるものにしています。

 

ちなみに、窯変はaccidental coloring(偶然生じた色彩)と英訳されることもあります。陶磁器を焼くときに作品を窯に入れるわけですが、高温で焼成すると窯内部の化学物質が反応し合い、陶磁器に様々な色相が生まれます。

 

作り手はどんな焼き上がりになるかある程度の予想は出来たとしても、最終的にどんな色相になるかは実際に窯から出してみないと分かりません

 

そうした意味で「偶然」というのは的を射た表現だと思います。特に薪を燃料とする薪窯ではこの傾向が強く、ゆらめく炎は多様な色彩を陶磁器にもたらしました。

 

身近な例では書籍や美術館、販売店でも窯変という言葉をみることがありますね。「本作の器肌には窯変による景色が〜」とあれば「肌(=表面)に生じた色の変化が景色(=色相)を成している」と解釈できます。

 

 窯変の例:施釉編

釉薬を用いたものは施釉(せゆう:釉薬をかけること)作品といいます。たとえば銅釉を使った織部焼(おりべやき)ならどうでしょうか。窯の中の酸素が十分な場合(酸化雰囲気:さんかふんいき)、銅の成分が緑色に発色します。ここでいう雰囲気とは「窯内部の状態」と考えてください。

 

それに対して、同じ銅釉を用いた辰砂(しんしゃ)であれば、窯内部の酸素が欠乏した状態(還元雰囲気:かんげんふんいき)で焼成します。その結果、銅の成分は紅色に発色します。

 

このように似通った成分の釉薬であっても、窯の内部環境(酸化か還元か)によって色彩に変化が生じます。これは青磁(せいじ)の作品を見ても同じことが言えます。

 

「青磁」と画像検索するとたくさんの画像が出てきます。おおむね青〜緑色の作品が多いのですが、中には黄色に発色した青磁もあります。

 

これは釉薬に含まれる微量の鉄分が原因です。酸化焼成であれば黄色の焼き色となり、還元焼成であれば青〜緑色の発色が得られます。

 

 窯変の例:無釉編

窯変は一言でいえば色の変化ですから、釉薬を用いない無釉焼き締めの作品にも窯変は生じます。たとえば土をそのまま焼く備前焼や信楽、伊賀の焼き締めなどがその一例です。

 

薪窯で焼成する場合、燃料である薪は燃えて灰になります。灰は窯の炎で舞い上がり、そして作品の表面に降りかかります。その灰が高温で熔けるとガラス質に変わり釉薬と同じ役目を果たします。その結果、作品の表面に色の変化をもたらします。

 

たとえば備前における胡麻(ゴマ)がその好例です。器肌にゴマ粒のごとく斑点状に降り積もった灰が熔け、褐色の器胎に斑点状の模様が付きます。斑点の色によって黄胡麻などと呼ばれます。

 

または灰が大量に降り注ぐことで、作品が灰に覆われてしまうこともあります。するとその箇所は火が当たらず、酸素が乏しい状態になります。すると部分的に還元雰囲気となり、そこだけが黒く発色するケースもあります。

 

これは備前の例で説明すれば、桟切(さんぎり)が当てはまります。赤褐色の胎土の中で、ある一部分(=灰で覆われた部分)だけが黒〜灰色に発色します。

 

「桟」とは桟橋などで使われますが「かけはし・つなぐもの」という意味があります。複数の焼成室を持つ登窯でいえば、各部屋をつなぐ部分を「桟」とも呼びます。

 

各部屋の連結部である「桟」は狭く、灰の流入や温度差が大きいところです。ここに作品を置くことで大量の灰が作品を覆い、結果的に還元雰囲気で焼けるのです。こうした「桟」の切れ目に作品を置くことから桟切と呼ばれます。

 

このように、窯変は施釉・無釉を問わず複雑な色相で陶磁器を彩ります。織部や辰砂のように緑・紅色など色そのものを表現する窯変。胡麻や桟切のように、色とその模様を装飾とする窯変の例を挙げました。

 

 装飾としての窯変

さて、最終的にどのような窯変になるかは、窯出ししてみないと分からないと冒頭で述べました。しかし窯変の仕組みを活かせば、意図的に窯変を作り出せるとも言えます。

 

その要素は釉薬の有無と焼成雰囲気です。窯全体を酸化雰囲気にしつつ、部分的に還元焼成する環境を作ったとします。

 

たとえば作品同士を密接して窯詰めすれば、作品と作品の隙間は炎が通りにくくなります。もしくは木炭を作品の周りに大量に配置すれば、炎と空気に触れない還元スポットを作り出すことができます。こうすることで部分的に色の変化を生じさせるのです。

 

または作品の一部に施釉・化粧土を塗ることも考えられますね。私はよく仲間内でそんな話をします。「もしかしたら」と想像することは作品をより多角的に楽しむコツでもあります。

 

たとえば古伊賀の名品である「破れ袋」という作品があります。一面に灰が降りかかり、熔けた灰は鮮やかな緑に、熔けきらない灰は塊となって器面に貼りついています。

 

果たして窯の中に無作為に放って出来たものか、はたまた作り手が一面に施釉と炭を配したものなのか。勿論これは当事者でないと分からないことですが、想像の余地がある事でより深く作品を見ることができます。

 

あとは本阿弥光悦の「不二山」であればどうでしょうか。炎の偶然による産物で上部の白と下部の黒(還元・炭化による黒)が分かれた!という方もいれば、白釉と黒釉(または化粧土)を掛け分けたという方もいます。

 

ちなみに私は後者の考えです。見込みも白・黒がきれいに分かれていますし、光悦はしっかりと完成形を見据えて施釉したと勝手に考えています。仮に写しを作ろうと思ったら、白・黒掛け分けて境界をぼかすのかな?といった発想しか浮かばないからです。

 

こうした推測や仲間内での雑談はとりわけ楽しいものです。もちろん推論の域は出ませんが、鑑賞して楽しむポイントは間違いなく増えていきます。

 

また窯変を作り出せるという事は、薪窯に限定されることなく電気窯でも窯変にチャレンジできます。木炭を用いた炭化作品や、部分的に色釉を掛けた作品など、実際の制作においても選択肢が増えることでしょう。

 

このように窯変の概要を知ることで、鑑賞や作陶の幅がより広がっていきます。作品の個性と魅力は造形だけではなく、窯変によってより深みを増すといえます。

 

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