高取焼(福岡県朝倉郡東峰村ほか)

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高取焼(福岡県朝倉郡東峰村ほか) JR九州 日田彦山線「大行司」駅周辺ほか

 

 高取焼の歴史

1602年ごろ高取焼は朝鮮人陶工の八山(はちざん 和名:高取八蔵)らにより開窯されました。これは筑前福岡藩主 黒田長政の命によるものです。

 

八山は文禄・慶長の役(1592年〜1593年・1597年〜1598年)の時期に黒田長政に同伴して日本に来たといわれます。

 

八山とその陶工集団が永満寺の宅間(えいまんじ たくま:現 直方市永満寺)に、藩の御用窯を築いたのがはじまりとされています。遠州好みの茶陶を作り遠州七窯のひとつとしても知られます。

上野本窯跡

直方市の山中にある宅間窯跡。車道を挟んで下は池で上は藪に覆われている。

 

その後、御用窯は発祥地である直方市から1716年ごろまで移転を繰り返しています。

 

すなわち宅間窯から内ヶ磯窯(うちがそがま 現:直方市頓野)、山田窯(現:嘉麻市上山田)、白旗山窯(現:飯塚市幸袋)、小石原鼓窯(現:朝倉郡東峰村小石原鼓)、大鋸谷窯(現:福岡市中央区輝国)、東皿山窯(現:福岡市早良区祖原)と、度重なる転窯が続きました。

 

現在、高取宗家は小石原鼓(福岡県朝倉郡東峰村)に居を構えます。近隣に高取八仙窯、鬼丸雪山窯があります。小石原焼の窯元も含めると50軒ほどの窯があるので、作品をみるには事欠かないでしょう。なお移動手段は車が必須となります。

 

一方、味楽窯は現在の福岡市早良区で、東皿山窯系の茶陶を作り続けています。このように小石原と福岡それぞれに、歴史ある窯元が分かれる形になっています。

 

 高取焼の特徴

さて、高取焼の特徴として独自の釉薬があげられます。緑褐色の高宮釉、黄褐色の高取黄釉、まだら状で黄土色の道化釉などは高取にしか見られない釉薬といえます。

 

高取釉と称されるこれらの釉薬のほか、白釉・飴釉・黒釉・フラシ(透明)釉・緑釉などその種類は多岐にわたります。窯元の作品を見てもバリエーション豊かな色彩が楽しめます。そして複数の釉を掛分けた作風も高取の持ち味といえます。

 

作りにおいては薄造りであることも特色のひとつでしょう。高取で使う土は一般的に粘りのある黄土です。実際に作業をみる機会がありましたが、丁寧に水簸することでより薄くひけるとの話でした。

 

手取りが軽く日用使いの食器として使いやすいものです。伝統的な茶陶をはじめ普段使いのうつわまで。その多様な作風を楽しむことができます。

 

 内ヶ磯窯について

前述の内ヶ磯窯について補足させていただきます。

 

内ヶ磯窯は江戸時代初頭に興った窯で、福岡県直方市(のおがたし)の福智山に窯跡があります。高取焼の古窯として認知されていますが、実は多様な出土品でも知られるユニークな古窯です。

 

近年の発掘調査で分かったことですが、内ヶ磯窯からは「沓形茶碗」「朝鮮唐津」「萩焼」の出土品が発見されています。また上野焼(あがのやき)とされる白釉・緑釉のかけ分け作品の一部も内ヶ磯窯から出土しています。

  • 沓形茶碗(くつがたちゃわん):歪んだ形の茶碗など。美濃で焼かれた織部と同形の作品群
  • 朝鮮唐津(ちょうせんがらつ):佐賀県の唐津で焼かれたものと同系。黒(鉄釉)と白(藁灰釉)の作品群
  • 萩焼:山口県萩市等で焼かれたもの。萩の土に藁灰釉や長石釉をかけた作品群

つまり唐津焼・萩焼・織部焼・上野焼の「一部」は、現在の福岡県直方市で作られていたという事です。おそらく各地の陶工たちが集っていた一大製陶所と言われています。

 

現在の内ヶ磯窯跡は福智山ダムの底にあります。ダムの用命が終われば、さらなる事実究明が進んでいくはずです。現代における高取焼の釉薬の多様性などはこうした歴史の産物なのかもしれません。

 

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