唐津焼(佐賀県唐津市)

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唐津焼(佐賀県唐津市) JR西日本 筑肥線「唐津」駅から車

 

 唐津焼の歴史

唐津焼は現在の佐賀県西部および長崎県北部で焼かれた陶器のことを指します。その発祥地は1580年代の岸岳山麓(きしだけさんろく:佐賀県北波多村、相知町)とされています。

 

すでに朝鮮半島から作陶技術が伝播しており、日本ではじめて登窯(割竹式)が稼働したのもこの地域です。有名な古窯跡としては飯洞甕窯(はんどうがめがま)が挙げられます。

 

はじめ文禄・慶長の役(1592年〜1593年・1597年〜1598年)で帰化した朝鮮人陶工がはじまりとされていました。しかし近年の古窯跡の発掘と、堺(主に大阪城)の出土品の年代から、唐津焼は文禄・慶長の役より前に作られていたと結論づけられています。

 

さらに千利休が所持していた「ねのこ餅」という筒型の奥高麗茶碗は唐津で作られました。利休の切腹が1591年であることから、唐津焼はそれ以前から作られていたという根拠にもなっています。

 

ちなみに1580年代の岸岳地域は波多親(はた ちかし)の統治下です。波多家は岸岳城を本拠地として450年間この地域を治めていました。秀吉の九州征伐(1586年〜1587年)に派兵しなかった事で知られますが、豊臣姓を下賜され三河守に任命されるなど優遇をうけます。

 

1588年に波多親は上洛し千利休・津田宗久の茶の席に招かれ名物を贈られています。このような前例のない優遇処置の背景には、朝鮮出兵の拠点と目論んでいた肥前名護屋(ひぜん なごや)が波多親の領土であったためといわれています。

 

後に文禄・慶長の役の本拠地として名護屋城が築かれます。波多親は1593年に秀吉に領地を没収され常陸国筑波に流罪とされました。後任は尾張出身の寺沢広高があたります。

 

広高は唐津城を築き、防風林(現在の虹ノ松原)を整備して統治にあたりました。唐津藩の御用窯は椎の峰から坊主町窯、御茶碗窯と移転して廃藩置県後にその役目を終えています。
唐津城と虹の松原

 

御用窯に従事した窯元は中里家と大島家が知られますが、明治期に大島家は陶業から離れます。現在では中里太郎右衛門の窯がのこります。十二代 中里太郎右衛門(なかざと たろうえもん:無庵)は唐津焼の人間国宝として知られます。

 

県内では実に70軒を超える窯元が唐津焼を作り続けています。

 

 唐津焼の特徴

東日本の陶磁器を「瀬戸もの」というのに対し、西日本の陶磁器を「唐津もの」と称すほど一般に普及したやきものです。名前の由来は日本各地に出荷された唐津港とする説もあります。

 

また、唐津の「唐」は朝鮮半島の韓(から)を指し、「津」は港という意味を持ちます。朝鮮半島と交易を行う港町としての一面をもっていました。

 

唐津焼の土味は砂目がおおく温かみと素朴さを兼ね備えています。また土の粘りが強いため、削ると表面がささくれ立つ「縮緬皺(ちりめんじわ)」は唐津の作品、とくに高台内と高台脇によく見られます。

 

ただ、土の特性は一言では言い表せないほど個性が強いものです。岸岳・武雄・伊万里・有田など各地域において、採取場所は近くても全く異質の土が採れることもよく知られるところです。

 

その土の個性に合った作品を焼いたことから品目は多岐にわたります。器種の多さはすなわち土の個性の豊かさを意味します。

 

唐津焼は叩き作りの壺や甕、皿に藁灰・土灰釉のかかった陶器が一般的なものです。かつて山瀬や岸岳で原土を見せてもらった事があります。粘りはあっても目が粗くひびが入る土で一般的な唐津の山土と伺いました。

 

こうした土の特性も、叩き作りが多い理由のひとつでしょう。

 

その種類は土灰や長石釉の無地唐津、無地釉に鉄絵の絵唐津や皮鯨(かわくじら)、藁灰釉を用いた斑唐津(まだらがらつ)、飴釉と藁灰釉をかけ分けた朝鮮唐津のほか、奥高麗(おくごうらい)・三島唐津・彫唐津、粉引唐津、瀬戸唐津など実にバリエーション豊かです。

 

さらに釉色によって青・黒・二彩・黄唐津に分類されるほか、黒釉に長石をかけた蛇蝎唐津(じゃかつからつ)も挙げられます。

 

ちなみに桃山期の陶磁器において唐津ほどの大皿は作られていません。大物を作る技術の高さと、絵唐津に見られる絵の装飾も大きな特徴です。当時は中国陶磁と李朝陶磁に絵が見られます。

 

しかし、日本初の絵付けといわれるのは唐津と美濃の鉄絵とされています。美濃(志野焼と織部焼)の雅な鉄絵とは異なり、唐津のそれは抽象的なモチーフがほとんどです。伸びやかな筆致と詫びた佇まいが見てとれます。

 

また、唐津焼は一井戸 二楽 三唐津(もしくは一楽 二萩 三唐津)とも称され、茶陶としても高い評価をうけています。茶陶を意識して作られた作品以外に、掘り出し唐津という出土品を茶器に見立てた伝世品があります。

 

素朴な形と釉調が茶の美意識にかなったのでしょう。ここで挙げられた特徴は現代の作品にも継承されています。

 

 唐津の見どころ

窯元の情報はJR唐津駅の中にある唐津観光協会でパンフレットがもらえます。窯元が70か所、販売店が20か所掲載されています。住所・電話・代表者名が明記されているので必携です。

 

また駅前の「唐津市ふるさと会館 アルピノ」では10数軒の窯元の地図と個々の作品が見られます。唐津焼の概要はアルピノの展示品でわかると思います。

 

そのほかの見どころとしては、唐津城内に古唐津の展示品があります。古唐津研究の第一人者といわれる古館九一(ふるたち くいち 1874〜1949)が集めた古陶と陶片などが展示されています。古館氏は実業家として知られる一方で唐津古窯の発掘に尽力された人物です。

 

また、距離は離れますが名護屋城博物館と名護屋城跡もお勧めします。
名護屋城博物館
同博物館は陶磁器以外の展示が多いですが、古代からの朝鮮半島との繋がりと文禄・慶長の役に関する資料は参考になります。

 

名護屋城跡
隣接する名護屋城跡はその規模が分かるうえ、玄界灘を望む美しい景観を楽しめます。

 

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